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東京地方裁判所 昭和60年(ワ)13076号 判決 1995年11月28日

原告

清家允

右訴訟代理人弁護士

小野寺利孝

友光健七

田中由美子

鈴木利廣

被告

右代表者法務大臣

宮澤弘

右指定代理人

伊東顕

外四名

被告

作田正義

岡政文

被告ら三名訴訟代理人弁護士

小海正勝

主文

一  原告の請求をいずれも棄却する。

二  訴訟費用は原告の負担とする。

事実及び理由

第一  請求

被告らは、原告に対し、連帯して、金三一六一万九七四六円及びこれに対する昭和五三年一〇月一七日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

第二  事案の概要

原告は、昭和五三年一〇月一七日、被告国の管理・運営する大阪大学歯学部附属病院において、被告歯科医師らにより、左側術後性上顎嚢胞の摘出と左側上顎埋伏智歯の抜去を目的とした手術を受けたが、被告歯科医師らの右手術中の過失によって、輻輳不全(両眼を一点に注視させる機能の障害)、内眼筋マヒ(散瞳、調節障害、不縮瞳)及び単眼複視の眼症状が生じたとして、被告らに対し、金三一六一万九七四六円の損害賠償(被告国について国家賠償責任、使用者責任又は債務不履行責任、被告歯科医師らについて不法行為責任)を求めたのが本件事案である。

一  争いのない事実(医学的見解・知識(以下「知見」という。)を含む。)

1  被告ら

(一) 被告国は、大阪大学歯学部附属病院(以下「被告病院」という。)を管理・運営するものである。

(二) 同病院勤務の歯科医師である被告作田正義及び同岡政文(以下「被告作田」、「被告岡」といい、両名の総称を「被告医師ら」という。)は、昭和五三年一〇月当時、被告作田が大阪大学歯学部教授(被告病院第二口腔外科科長)、被告岡が被告病院第二口腔外科の医員であった。

2  被告病院での昭和五三年一〇月一七日の手術(以下「本件手術」という。)の前後の経緯

(一) 原告は、昭和三五年三月、一五歳のころ、高知県内の病院において、左右上顎洞・篩骨洞の洞炎根治術(以下「旧手術」という。)を受けた経験を有するところ、約一八年後の昭和五三年四月ころに至り、左側頬部に有痛性腫脹をきたし、同月二五日、高知県宿毛市押ノ川一一九六番地所在の聖ケ丘病院耳鼻咽喉科の診察の結果、術後性上顎嚢胞と診断された。

(二) 他方で、そのころ、原告は、歯科医からも、左上顎智歯埋伏・左上顎臼歯の失活(生活反応マイナス)を指摘されていたため、嚢胞処置と歯牙処置との関連について、同年六月ころ、岡山大学医学部口腔外科、高知市民病院口腔外科を訪れ、診察を受けて相談した。

(三) そして、原告は、昭和五三年八月、前記聖ケ丘病院耳鼻咽喉科からの紹介により、被告病院口腔外科を訪れ、被告作田の診察を受けた。

被告病院口腔外科では、患者である原告の住所が遠方であることから、愛媛大学医学部口腔外科へ紹介する措置を検討、原告に対し、愛媛大学への転院も勧めたが、原告は被告病院での施術を希望したため、同院において処置することとなった。

(四) こうして、原告は、被告作田の指示により、同年一〇月一二日、被告病院口腔外科に入院、同月一七日、被告医師らの担当により、左側術後性上顎嚢胞の摘出及び左側上顎埋伏智歯抜去を併合した手術を受け、同月二七日に同病院を退院した。

なお、本件手術における実際の執刀者は被告岡であり、被告作田は指導医として手術に立ち会ったものである。

(五) その後、原告は、大阪大学医学部附属病院(以下「阪大病院」という。)眼科において、

(1) 昭和五四年三月一六日には、「外斜位、両眼調節衰弱の疑い、両眼輻輳不全、両眼散瞳」

(2) 同年六月二六日、「瞳孔の散瞳、調節障害、輻輳障害」

とそれぞれ診断され、更に、同年一一月二〇日には、「両眼の内眼筋麻痺(調節障害、散瞳)、輻輳不全」という内容の診断書の交付を受けた。

3  本件手術部位(上顎洞)について

(一) 眼球を収容・保護する眼窩は、その下方には上顎洞、上方には前頭洞・眼上蜂窩、内側に篩骨洞、内後方に蝶形洞が存在し、その約三分の二を副鼻腔によって囲まれている。

他方で、眼窩内もしくはその周辺には、様々な視神経、その他の神経、眼球血管、涙腺等が存在し、これらが眼機能に様々な影響を与えているため、副鼻腔の疾患並びに副鼻腔手術に際しての副損傷が、眼機能に様々な影響を与えることがあり、このことは医学界において古くから知られている周知の事実である。

(二) 副鼻腔のうち上顎洞は、その上部の大部分が眼窩底を形成しているところ、眼窩底には、眼窩下神経・眼窩下動脈を始め、様々な神経・血管・眼筋が通過しているが、眼窩底と上顎洞とを隔てる骨は薄く、ことに眼窩下神経の走行部は極めて薄く骨折しやすい。

(三) 副鼻腔手術における副損傷については、古くから、失明・内直筋マヒ・複視等の様々な視力障害例が報告されている。

4  術後性上顎嚢胞について

(一) 本件手術の対象である術後性上顎嚢胞は、副鼻腔炎根治術の術後数年ないし一〇数年を経て発生する嚢胞で、多くは粘液性嚢胞である。この嚢胞は副鼻腔のどの部位にも発生する可能性を持つが、歯科口腔外科を訪れる患者の症例の大部分は上顎洞の下方型(上顎洞底付近に嚢胞が発生するもの)であり、口腔内の種々の病因(例えば齲歯、歯周疾患など)により二次的感染を来し、発見されることが多い。

(二) 術後性上顎嚢胞の手術目的は、嚢胞の処理と通気のための対孔形成(または、それに準じた処置)にある。

上顎洞下底に限局された術後性上顎嚢胞の術式は、概略、以下のとおりである。

(1) 上口唇―頬側粘膜上で齦頬移行部に横切開を加え、粘膜骨膜弁を作製する。この際、多くの例において、以前の根治術による上顎骨前壁の骨欠損が見られるはずであるので、右骨欠損を開放し、洞内の嚢胞を確認する。

(2) そのうえで、嚢胞を全部摘出した後、嚢胞の原因となり得る歯牙等の処置を行う。

症例によっては嚢胞の全摘出は行わず、嚢胞腔を上顎洞内に開放(開窓療法)するに止めることもある。

(3) その後、自然孔または以前行われた根治術で形成された対孔が閉鎖していれば、下鼻道側壁に対孔を作り、ガーゼタンポンを洞内に挿入し、その一端を対孔部より鼻腔に出したうえ、口腔内切開部粘膜を縫合、閉鎖して手術を終了する。

(三) このように、術後性上顎嚢胞の手術は、上顎洞炎の根治術とは異なり、上顎洞内の粘膜を一塊として剥離・除去することをしない。上顎洞内の粘膜を一塊として剥離・除去する場合には、上顎洞上壁(眼窩底を含む)をも術野とするため、直接間接の視器への影響が考えられるが、上顎洞下底に限局する術後性嚢胞の摘出及び対孔形成については、眼窩底(上顎洞上壁)は術野から外れ、少なくとも視器への直接的な侵襲が考えられない点で、危険度は極めて少ない。

5  「輻輳」及び「輻輳不全」について

(一) 「輻輳」とは、両眼を眼前の一点に注視する機能を言い、逆に、輻輳の状態から両眼の注視線を左右に開く機能を「開散」と言う。

(二) 輻輳の際、注視点を近づけ、輻輳が極限に達したときの位置を「輻輳近点」と言い、逆に、開散を極度に行った位置を「輻輳遠点(開散近点)」と言う。

意志的に行い得る開散は両眼注視線の平行位までで、輻輳遠点は無限大までとなる。

(三) 輻輳を行うためには、両眼の内直筋(動眼神経に支配される)の収縮と外直筋(外転神経に支配される)の弛緩とを、一瞬にして協調的に行うことが必要である。更に、瞬時にして、一眼の内直筋は、他眼の外直筋と協同して側方視に切り替えることもできる。

このことは、動眼神経、外転神経の各核の上位に、これら神経核のコントロールを行う核上中枢が存在することを示す。

(四) 輻輳の神経支配の経路は未だ確実に解明されていないが、輻輳の中枢は大脳皮質の注視中枢(前頭葉、後頭葉及び側頭葉)と言われている。

この注視中枢からの神経繊維は、直接、四丘体の上丘(上丘は四丘体の一部)を経て、エジンガーウエストファル核に入り、更に、動眼神経核の内直筋核に達する。内直筋核からの神経繊維は、動眼神経を経て、内直筋に達する。

(五) 「輻輳不全」は、輻輳異常の一種であるが、神経経路の器質的病変によるものではなく、外斜視(眼球が外側に向かっている斜視)、眼球突出、一眼または両眼の高度の視力障害、強度近視、全身衰弱、ヒステリー、頭部外傷等において見られる機能的障害である。

6  いわゆる「足川説」について

足川力雄医師(元東京慈恵医科大学耳鼻咽喉科教室客員教授、以下「足川医師」という。)らは、複数の輻輳不全症例について、鼻腔整復術・上顎神経ブロック等の外科的治療を施すことにより、輻輳不全症状を改善してきた経験を基に、昭和五一年ころから、輻輳と三叉神経との関連について、要旨以下のような学説(以下「足川説」という。)を発表している。(<書証番号略>)

(一) 輻輳の神経支配について

輻輳の神経支配については未だ確定された見解は存しないが、鼻腔整復術に関連して問題となるのは、第一に三叉神経、第二に自律神経、特に交感神経の輻輳への影響である。

(一) 三叉神経の輻輳への関与

輻輳反射求心路に三叉神経が関与しているという見解がある。

また、三叉神経の分枝である篩骨神経は、鼻副鼻腔の慢性炎症の影響を受けやすい位置に存在し、抑制的インパルスとして輻輳反射求心路に作用するものと考えられ、その結果、輻輳障害を生じるのではないかと思考する。

(2) 交感神経の輻輳への作用(抑制的)

輻輳遠心路は動眼神経が担っているが、抑制的作用を示す神経繊維が三叉神経第一枝より送られており、この神経は交感神経であると言われる。また、動眼神経が、内頸動脈神経叢より、直接、交感神経枝を受け入れている可能性もある。

(二) 鼻腔整復術等による輻輳改善の機序

(1) 鼻副鼻腔の病態除去により、三叉神経の眼枝の終末枝である節骨神経への刺激が除去され、輻輳運動の抑制的インパルスが除去されるものと考えられる。

(2) 鼻腔整復術によって、鼻副鼻腔の換気・排泄が良好となった結果として、直接、三叉神経刺激状態が除去されることにより、あるいは、前篩骨神経刺激軽減による関連領域交感神経の過剰刺激状態が除去されることにより、いずれにしても、輻輳の中間中枢周辺の血流は改善し、輻輳の機能に好影響を与えるものと考えられる。

二  争点

1  被告医師らの過失の有無

(原告の主張)

(一) 本件手術に対する認識の誤り

本件手術は、その術野が極めて狭いこと、手術部位の周辺には重要かつ多様な神経・血管が走行していること、及び眼窩に影響を与える可能性が存すること等からすれば、本来は困難で慎重な注意を要する手術であるにもかかわらず、被告医師らは、「簡単」あるいは「やさしい」手術であると軽信して、極めて安易な態度で本件手術に臨んだ。

(二) 術前検査の懈怠

本件手術を実施するにあたっては、手術部位の状況を把握するための術前検査として、断層撮影法によるレントゲン検査(以下「断層撮影」という。)が必須であるにもかかわらず、被告医師らは、術前検査としては不十分なパノラマ造影法による検査等を実施したのみで、断層撮影を実施しなかった。

(三) 手術中の確認行為の懈怠

本件手術においては、上顎洞内における嚢胞の存在位置を知るという意味においても、眼窩下神経を不必要に損傷することを避けるという意味においても、本来、眼窩下神経の出口である下眼窩神経孔(眼窩下孔)を確認することが不可欠であったにもかかわらず、被告岡は右確認を怠ったまま、漫然と手術を実行した。

(四) 本件手術中の手技ミス

本件手術中、被告岡は、術前に予測されていたもの以外にも嚢胞が存在することを発見、上顎洞内を探索しながら嚢胞の摘出を行うこととなったが、その際、右(一)ないし(三)の過失により、事前の術野の把握が不十分であったことから、

(1) 手術器具の取扱いを誤り、眼窩底(上顎洞上壁)の骨壁を損傷して、眼窩上を走行する三叉神経第二枝(上顎神経、眼窩下神経)に不必要な損傷又は圧迫を加え、

(2) 手術器具の取扱いを誤り、上顎結節部(上顎洞後壁)を侵襲して、翼口蓋神経節に不必要な損傷又は圧迫を加え、

(3) 下眼窩神経孔の付近において眼窩下神経に不必要な損傷又は圧迫を加え、

あるいは、

(4) 顔面壁削開時又は埋伏智歯摘出時の際に加えた不必要な打撃によって、頭部外傷時と同様の衝撃を頭頸部に与えて、脳内中枢に障害を与えた、ものである。

(五) 術前説明義務違反

(1) 被告医師らは、本件手術前に、原告に対し、本件手術による視器障害発生の可能性について説明すべき義務があるのに、これを怠り、視器障害発生の可能性については何ら言及しなかった。

(2) また、被告医師らは、本件手術前には、執刀医は被告作田であると説明していたが、実際に本件手術を執刀したのは被告岡であった。このことは、原告が被告岡による本件手術の施行を拒否する機会を奪ったものであり、重大な説明義務違反に該当する。

(六) 術後管理の懈怠

被告医師らは、本件手術後の入院期間中に、原告に眼精疲労、眼痛等の眼症状が発生した段階で、原告の訴えを正しく把握し、早期に眼科医師に転送すべき義務を負っていたにもかかわらず、これを怠った。

(七) いわゆる「領域問題」について

(1) 本件手術部位は、医師(耳鼻咽喉科)と歯科医師(口腔外科)との境界領域に属するが、本件手術のように眼障害を引き起こす危険性の高い手術については、本来、歯科医師である被告医師らは、手術の必要性を認めた段階で、耳鼻咽喉科に転送すべき義務を負っていたにもかからず、歯科医師としてなすべき施療の範囲を逸脱して、本件手術を施行した。

(2) また、仮に、歯科医師であっても本件手術を施行できるとの解釈を採るとすれば、被告医師らは、通常、医師が本件手術と同様の手術を施行する場合に遵守すべき注意義務と全く同等の注意義務を負担していたものと解することになる。

そうであるとすれば、歯科医師であって、周辺臓器及び全身への影響について十分な医学教育を受けていない被告医師らは、術野の周辺臓器に関し、医師の場合に比して、より一層細心の注意を払ったうえで、本件手術に臨むべき義務があったものである。にもかかわらず、被告医師らは、前記(一)ないし(四)記載のとおり、「簡単な手術」との認識のもと、極めて安易な態度で本件手術に臨んだものであって、このことだけを見ても、被告医師らの過失は明らかである。

(被告の主張)

(一) 本件手術に対する認識の点について

手術難易度の判定は、術者の決定や術前・術中・術後の対応を検討するうえで欠かせないものであるが、一般的に言って、術後性上顎嚢胞に対する手術は、他の一般的な手術と比較して、それほど難度の高いものではなく、例えば、上・下顎智歯抜歯術とほぼ同程度の手術である。そのうえ、本件手術のように、嚢胞の存在位置が上顎洞下底に限局されている症例に対するものは、更に、その難易度は低くなる。

しかしながら、被告医師らにおいては、本件手術の難易度の高低にかかわらず、安易な対応や粗雑な手術をしたことはない。

(二) 術前検査について

本件で、被告医師らは、術前検査として、後頭前頭方向撮影法、ウォーターズ撮影法及びデンタル撮影法による単純エックス線撮影のほか、パノラマ撮影法による断層エックス線撮影、更に、造影法を併用したパノラマ撮影法によるエックス線撮影を行っており、かつ、同人らは、これらのエックス線撮影写真の読影能力を十分に有していたから、原告の病態及び手術施行上の侵襲範囲についても、臨床上、必要かつ十分な程度に把握できていた。したがって、本件の術前検査には全く問題がない。

この点、原告は、断層撮影法があたかも万能であるかのごとく、本件手術における術前検査においても、断層撮影が必要不可欠のものであったと主張する。

しかしながら、上顎洞後壁の状態は、パノラマ撮影法を用いれば大略明らかになるのに対し、断層撮影法(前頭断)を用いたのでは全くといって良いほど明らかにならない。本件嚢胞のようなものについては、パノラマ撮影法の方が、口腔外科領域では有用性が高いものであり、本件手術の場合、断層撮影は必ずしも必要ではないと言うべきである。

(三) 下眼窩神経孔の確認について

被告岡が、本件手術中に下眼窩神経孔を確認する作業をしていないことは認めるが、それが過失に該たるという主張は争う。

原告は、本件手術においては、嚢胞の位置確認のためにも同神経孔を確認することが不可欠であると主張するが、本件の場合、嚢胞の存在部位が上顎洞下底に限局されており、眼窩底からも十分に離れていることは、既に術前のレントゲン検査によって確認済みであったから、嚢胞の位置確認のために同神経孔を確認する必要はなかった。

他方、原告の上顎骨前壁には旧手術による骨欠損が既に存在していたから、不必要に上方の組織を剥離すればするほど、むしろ、眼窩下神経を大きく損傷する危険性が高くなるとも言え、そのため、本件手術では上顎洞前壁の上方や下眼窩神経孔の位置まで粘膜剥離を行っていないし、また、その必要もなかったものである。

(四) 手技ミスの主張について

(1) 被告岡が本件手術中に原告の眼窩底の骨壁を損傷した事実はない。

そもそも、原告の眼窩底に骨欠損が存在することを示す明確な所見はないが、仮に、眼窩底に骨欠損が存在するとしても、それは本件手術時に生じた損傷ではない。

本件手術は、上顎洞下底に限局された嚢胞の摘出、埋伏智歯の摘出等を目的とした手術であったから、その術野は上顎洞下底部に限局され、手術中の操作が眼窩底に及ぶことは考え難い。そのうえ、旧手術が、眼窩底を含む上顎洞内全部を術野とするものであり、かつ、一般に、上顎洞の根治術が終了した後、上顎洞上壁内方にある上顎洞・篩骨洞境界板を上顎洞内より鉗除・破骨して篩骨洞内を開放するという手順を採るものであることからすると、むしろ、同手術が眼窩底の骨欠損を生じさせた原因である可能性が高い。

(2) 被告岡が、上顎結節部(上顎洞後壁)を侵襲し、翼口蓋神経節に傷害又は圧迫を加えた事実はない。

確かに、本件手術前から、上顎洞後壁(上顎結節部)の下方、智歯歯冠相当部には、智歯の萌出に関連する生理的骨欠損が生じていたが、被告岡が、右骨欠損部分から洞外へ手術的侵襲を加えた事実はない。

また、解剖学的に見て、翼口蓋神経節のある翼口蓋窩は、上顎洞外の上方に位置するところ、本件手術の術野が上顎洞の下底部に限局されていたことは前述のとおりであるから、翼口蓋神経節に手術的侵襲が及ぶことはない。

(3) 被告岡が眼窩下神経を損傷した事実はない。

(4) 本件手術では、原告の頭頸部に障害を及ぼすような衝撃は全く加えていない。

イ 本件手術においては、左上顎骨前壁の骨を開削する必要があるが、旧手術により既に左上顎骨前壁の骨は削除済みであった。したがって、本件手術に際し、木槌、ノミ等を使用して骨削除を行う必要はなく、各種の鉗子を用いて既に存在する骨欠損部を拡大することで足りたから、骨への衝撃はほとんど与えていない。

ロ 原告は左上顎埋伏智歯抜去の際の衝撃をも問題とするが、同歯の歯牙は、歯根の一部が左上顎洞内に露出し、その一部は嚢胞内に嵌入しており(歯冠相当部の骨の一部は欠損していた。)、その歯根部の一部においてのみ顎骨に埋入している状態であった。したがって、槌、ノミを使用したときも、大きな衝撃を加える必要はなかった。

ハ 本件手術と類似の手術においても頭部外傷を生じた例はなく、本件手術と比較にならないほど強い衝撃を加える手術においても輻輳不全が発生した例はないし、頭部外傷により脳内中枢に傷害が生じるときに、輻輳に関する脳内中枢のみが傷害を受けるということはないはずである。

(五) 説明義務違反について

(1) 被告医師らが本件手術前に視器損傷の危険性について説明しなかったことは認めるが、そのことが説明義務違反に該たるとの主張は争う。

一般に、手術に際して、副損傷をどこまで説明する必要があるのかは必ずしも明確でないが、基本的には、一定の、または、高度の蓋然性をもって発生する具体的な危険性のある疾患については説明義務があると解されるが、医療技術により解消し得る程度の軽度の危険や、通常の予想を超えて極めて稀に発生する危険については説明義務はないものと考えられる。

本件における嚢胞の位置及び大きさを基準に考えれば、本件手術によって視器損傷が発生する確率は六万例に一例の割合に過ぎず、更に、輻輳障害が発生したとの例は絶無であったのであるから、このような副損傷についてまで説明しなかったことは当然である。

(2) 被告岡が本件手術で執刀する旨を告知しなかったことが説明義務違反に該たるとの主張は争う。

原告は、執刀医が誰であるか全く未知の初診時において、愛媛大学医学部でなく、被告病院第二口腔外科で手術を受けることを希望したものであるうえ、手術前の時点でも、執刀医が誰であるかを明確には認識していなかったものであって、執刀医が被告作田であるか同岡であるかによって手術承諾を左右していないことは明らかである。

(六) 術後管理の懈怠について

被告医師らが術後管理を誤ったとの主張は争う。

(1) 原告が本件手術の三日後(昭和五三年一〇月二〇日)に訴えた眼精疲労については、被告医師らは、術後の炎症性反応である顔面の腫脹のために発生したものであると判断して経過観察したものであり、右の判断に誤りはない。

(2) 原告の術後入院中の経過は順調であり、眼科専門医を紹介しなければならないような所見は出現していない。

(3) 被告医師らを含む被告病院の歯科医師らが、患者である原告の訴えを無視していないことは、原告が入院中に腰痛を訴えたのに対し、整形外科への紹介措置が採られていること、及び、原告の退院後五か月以上が経過した昭和五四年三月にも、阪大病院眼科へ紹介する措置が採られていることを見れば、明らかである。

(七) 領域問題について

(1) 医師と歯科医師の診療境界については、医師法、歯科医師法その他の関連法規にも明記されておらず、この問題については、歴史的な経過及び実績と時代に即した社会の認容範囲とによって決せられるべきものであるが、以下の諸事情によれば、被告医師らが本件手術を施行することは、歯科医師としての診療領域を逸脱するものではない。

イ 術後性上顎嚢胞は、既に診断法・治療法とも大略において確立されている疾患である。

ロ そもそも、上顎洞の下底を形成する組織は、口腔とは表裏の関係にある同一臓器であるため、上顎洞内に発生する疾患には、発症の直接的原因を含め、口腔領域の諸要因が大きく関与している例が非常に多く、上顎洞内の疾患を治療するに際しては、歯牙を含む口腔機能の諸要因を無視することはできない。また、上顎洞内に発生する諸疾患は口腔内に症状を呈するものも多く、そのため、多くの患者が歯科口腔外科を訪れている。

それゆえ、上顎洞は、境界領域として、耳鼻咽喉科のみならず歯科口腔外科、眼科等の各科からのアプローチが行われてきたのである。

ハ 上顎洞の術後性上顎嚢胞治療の歴史を見ると、口腔外科は、各施設とも多少の差異はあるが、この種の疾患の一部を一貫して治療対象としてきている。特に、歯牙口腔等に何らかの症状を示す患者は、歯科口腔外科を訪れることが多く、原告のように歯牙と関連性の深い症例については、当然のこととして歯科医師の治療対象とされているものである。

ニ 厚生省の見解及び歯科の社会保険診療における行政解釈においても、歯科医師が上顎洞内の諸疾患の治療にあたることは全く問題がないものとされている。

ホ 原告は、耳鼻咽喉科医師から当科へ紹介された患者であった。

ヘ 被告病院第二口腔外科では、原告に対し、他医への紹介を示唆したにもかかわらず、原告自身が当科での処置を希望した。

ト 本件においては、嚢胞処置と埋伏智歯の処置とを同時に行う必要性が高かった。

(2) 医師であろうと歯科医師であろうと、医療措置について同等の注意義務を負うことは当然であるが、本件で、被告医師らは十分な注意義務を果たしている。

2  本件手術と本件障害発生との因果関係の有無

(原告の主張)

以下に述べる諸事情によれば、本件手術と本件障害発生との因果関係の存在は明らかである。

(一) 手術と眼症状発生の時間的近接性

(1) 本件手術前、原告には輻輳不全等の眼症状はなかった。

(2) 本件障害は、本件手術後短期間の間に発生し(原告が眼症状の発生を自覚したのは本件手術後三日目である。)、その後一連の継続性をもって増悪している。

(二) 本件手術部位の危険性

本件手術部位は、手術中に、本件障害を惹起させやすい器官が集中している部位である。

(1) 上顎洞は、その上壁の大部分が眼窩底を形成しているところ、眼窩底と上顎洞を隔てる骨は薄く、ことに眼窩下神経、動脈の走行部は紙のように薄いうえ、内眼筋が菲薄な骨壁を介して副鼻腔に接している。

また、上顎洞の後部には翼口蓋窩があるが、同窩には、顎動脈やガッセル神経節から三枝に分岐した三叉神経第二枝(上顎神経)が横切っているほか、眼の自律神経に大きく関与している翼口蓋神経節が走行している。そして、右の三叉神経第二枝は更に二枝に分岐し、そのうちの一枝である眼窩下神経は、下眼窩裂を通って眼窩下壁を横切り、下眼窩神経孔を通って頬部に現れている。

更に、三叉神経には副交感神経、交感神経が随伴している。

(2) このため、副鼻腔の疾病と眼症状は密接に関連している。

副鼻腔の疾病から眼症状が発生する機序は必ずしも明らかではないうえ、副鼻腔周辺には、多種、多数の神経・血管等が複雑に走行していることから、それら器官の障害部位と眼症状との関係を逐一明らかにすることは不可能であるが、副鼻腔内の病態の存在によって眼症状が生じる場合があることは明白である。

(三) 本件手術内容の危険性と骨欠損の存在

本件手術は、顔面壁切開、顔面骨切開、顔面壁露出、上顎神経伝達麻酔、顔面壁切開、嚢胞の剥離、埋伏智歯の摘出という工程で行われ、各工程で本件障害と関連する神経の損傷を惹起させる危険性があった。

そして、原告の眼窩底には本件手術によって発生した骨欠損が存在し、右骨欠損によって、原告の眼窩下神経、翼口蓋神経が圧迫あるいは傷害を受けたものと考えることができる。

(四) 本件障害の発生機序について

(1) 輻輳不全の発生機序については、現在必ずしも明らかとなっていないが、副鼻腔の異常と眼症状とが密接に関連しており、副鼻腔の病態の存在によって眼症状が生じる場合があることは明白な事実である。

また、副鼻腔の病態と輻輳不全とが関連すること(足川説)は、実際、足川医師による改善手術が施された後、原告の眼症状が一定の改善を見ていることからも明らかである。

(2) また、むち打ち症や頭頸部外傷等で反衝作用が生じる結果、脳幹部の後方の眼球運動系に障害が起こることがあるとされており、本件手術における埋伏智歯摘出の際に、頭頸部外傷の場合と同様の衝撃が加わり、その結果、本件眼症状が発生したものとも考えられる。

(3) 更に、原告の眼窩底に骨欠損が認められることからすれば、手術操作による眼窩底の損傷により、眼窩蜂窩織炎の合併が生じ、その結果、内眼筋麻痺を来すような眼下錐体先端症候が生じたということも十分に考えられるのである。

(4) 以上のとおりであるから、原告は、本件障害の原因として、本件手術中の

イ 上顎洞上壁の侵襲による眼窩下神経の損傷

ロ 上顎洞後壁(上顎結節部)の侵襲による翼口蓋神経の損傷

ハ 下眼窩神経孔の未確認による眼窩下神経の損傷

ニ 上顎洞上壁の骨欠損による眼窩蜂窩織炎の合併

ホ 下眼窩神経孔から出る眼窩下神経の損傷による感染症

ヘ 頭頸部外傷の場合と同様の衝撃を選択的に主張する。

(被告らの主張)

(一) 手術と眼症状発生の時間的近接性について

(1) 原告は、本件手術以前から近視、乱視であった。

そして、日常生活において何ら不自由を感じていない者の中にも、一〇パーセント程度は輻輳異常を有する者が存在するとされることからすれば、原告においても、術前、輻輳障害があったにもかかわらず、自覚していなかったという可能性は否定できない。

(2) 原告は、本件手術後の眼症状が一連のものであると言うが、原告が自覚した眼精疲労の原因については、それぞれ、感染症その他の原因による炎症性反応など、その時々の体調の影響を強く受けた症状であると理解することが可能なものであり、共通の原因による一連の症状であると言うことはできない。

また、原告は、昭和五四年三月一六日から眼精疲労のほかに散瞳を訴え、更に、同年六月三〇日には新たに遠方視による左単眼複視を訴えるようになったが、このことは、決して間断なく同一の症状が持続したものでないことを示している。

加えて、原告の訴えの内容自体、異質なものを多く含んでいることからすれば、原告の症状が一定のものでなく、不安定なものであったことは明らかである。

(二) 本件手術部位について

(1) 原告主張の解剖学的所見には、以下のとおり、誤りが多い。

イ 内眼筋とは眼球内の筋肉であり、副鼻腔とは全く接していない。

ロ 翼口蓋神経節に入る自律神経で眼と関連するものは副交感神経であるが、涙腺に分布するのみで視機能に関係する組織には全く関与しない。

ハ 交感神経、副交感神経は眼窩下神経とは随伴しない。

(2) 原告は、「眼症状」という一般的な概念を用いることによって、副鼻腔疾患との関連性を主張するが、原告が本件で訴えている「輻輳不全」と副鼻腔疾患とは全く関連性がないものである。

(三) 本件手術内容と骨欠損について

(1) 本件手術は、眼窩下神経伝達麻酔、歯肉頬移行部粘膜切開、上顎洞前壁露出、上顎洞前壁開削、上顎洞内嚢胞の剥離摘出、埋伏智歯の摘出、対孔形成、洞内ガーゼタンポン挿入、切開部粘膜縫合の順に実施されたものである。

本件では、嚢胞は上顎洞下底に限局していたため、眼窩底や眼窩内に手術侵襲が及ぶことは全くなかったが、たとえ、眼窩底や眼窩内に手術侵襲が及んだとしても、輻輳不全の発生を示す症例の報告は皆無であり、その関係を医学的に説明することはできない。

(2) 骨欠損の存在を示す明確な所見はないし、仮に、眼窩底内方あるいは上壁内方に骨欠損が存在するとしても、本件手術とは関係なく、旧手術によるものである可能性が高い。

なお、骨欠損があったとしても眼窩下神経を損傷する可能性は全くないし、仮に、眼窩下神経が損傷されたとすれば、同神経は知覚神経であるから、必ず知覚障害が起きるはずであるが、本件手術直後に頬部の知覚異常は認められなかった。

(四) 本件障害の発生機序について

(1) 輻輳不全と本件手術との関連性について

イ 本件障害の原因論

原告の眼は、阪大病院眼科等において、両眼とも眼球運動正常と認められている。したがって、両眼の眼球運動に関与する外眼筋(内直筋、外直筋、上直筋、下直筋、下斜筋、上斜筋)及びこれを支配する神経(動眼神経、外転神経、滑車神経)とその中枢には全く異常がないことになる。また、原告は、両眼近視であるが、視力は正常で、視野狭窄も認められないから、視神経の障害は考えられない。

ところで、眼窩内で輻輳に関係するのは、動眼神経の中に混在する副交感神経や毛様体神経節であると考えられるが、これらを、他の眼窩内組織(動眼神経、眼神経、眼窩内血管、外直筋など)の障害なしに、手術操作により選択的に傷害することは、物理的にも不可能であると言わざるを得ない。

このように考えてくると、原告の輻輳障害は、脳内の外眼筋支配の神経核群よりも更に上位の中枢(核上位中枢。ペルリア核やエジンガーウエストファル核など)に機能障害の場所を求めるのが妥当であると考えられる。

ロ 副鼻腔の病態と輻輳不全の関連について

確かに、副鼻腔の病態と「眼症状」の関連についてであれば、嚢胞の圧迫による視神経や外眼筋の障害、あるいは炎症の波及により眼症状が発生することがあるし、また、手術侵襲により眼症状が発生することもあるが、これらの眼症状は、視力障害ないし眼球運動障害であり、いずれも医学的に発生機序を説明することが十分に可能なものである。

しかし、原告の障害は輻輳不全を特徴とするものであるところ、片側の、しかも上顎洞下底の手術によって、両眼機能である輻輳障害が発生することは考えられず、両者を関連づける原告の主張は、これを医学的に説明することが不可能なものである。原告の依拠する足川説は、同医師の独自の見解に基づく仮説に過ぎない。

ハ 他原因の存在

そもそも、本件手術と本件障害との因果関係に関する原告の主張が医学的に説明のつかないものであるうえ、被告らは原告の入院期間以外の行動を詳細に知るべき立場にないこと(原告の支配領域内にある客観的証拠が本訴訟に十分に提示されているとは言えない。)からすれば、被告らの側で他原因を主張すべき必要はないものと考えられるが、敢えて、本件障害の発生原因となり得る他の原因を摘示すれば、①原告が被告病院を退院後、昭和五三年一一月五日に受けた整体術の影響、②原告の離婚問題に関わる心因的因子の影響、③原告が一〇歳時に投与を受けたものと推測される抗結核抗性物質の副作用等を指摘することが可能である。

(2) 原告主張の諸原因について

多くの報告例があるように、副鼻腔疾患や手術侵襲により眼症状が発生する機序は、いずれも医学的に説明することができるはずのものである。しかしながら、本件で、原告は、眼症状と副鼻腔の疾病が密接に関連しているとか、本件手術によって本件障害と関連する神経の損傷を惹起させる危険性があるとかの一般論を述べるのみで、本件障害の発生機序を具体的に説明していないから、これに対する反論も以下のとおり概括的なものとならざるを得ない。

イ 原告は眼窩下神経の損傷を本件障害の原因に挙げるが、眼窩下神経は、三叉神経第二枝(上顎神経)から分枝する知覚神経で、臨床上はしばしば障害を受けることがあるものの、本件障害のような眼症状が出現したとする報告は全くない。

また、解剖学的、神経生理学的、更には神経眼科学的に見ても、眼窩下神経障害と輻輳障害とが関連するという報告は全くなく、同神経は輻輳には何ら関係がないものである。

ロ 原告は翼口蓋神経節の障害を主張するが、同神経節を走行する神経中、眼の調節機能、縮瞳機能、輻輳機能に直接関連するものはないから、この部位を障害しても、本件障害が現れることはない。

ハ 原告は、眼窩蜂窩織炎の併発による眼窩錐体先端部症候群の発生を主張するが、一般に、炎症波及による眼窩錐体先端部症候群は、重篤かつ一見してそれと分かる症状を示すもので、これを放置すれば、失明、髄膜炎、脳膿瘍等を発生させ、死に至ることもあるほどの重大な疾患である。しかるに、本件で、原告には、そのような所見は全く存在しなかったから、原告の右主張には医学的根拠は全くない。

なお、原告は、眼窩下神経の感染症発生をも主張するが、同神経が本件障害に何ら関与しないものであることは前述のとおりである。

ニ 原告は頭頸部外傷と同様の衝撃を言うが、埋伏智歯抜去の際、原告は意識下でベッドに頭部を乗せていたのであるから、鞭打ち症を引き起こすような頭頸部の前後運動は起こりようがない。

また、骨削除を伴う歯科口腔外科及び耳鼻咽喉科手術は無数に行われているにもかかわらず、頭頸部外傷が起きたという症例・報告は皆無である。

3  原告の損害の程度

(原告の主張)

本件障害による原告の損害は以下のとおりである。

(一) 逸失利益

(1) 本件障害は、労働能力喪失率表(労働基準監督局長通牒・昭和三二年七月二日基発第五五一号)の第一一級一号「両眼の眼球に著しい調節障害又は運動障害を残すもの」に該当し、その労働能力喪失率は二〇パーセントである。

(2) 原告は本件手術当時三三歳(昭和一九年九月一二日生)であったので就労可能年数は三四年となるが、計算の便宜上、逸失利益の始期を昭和五四年一月一日、終期を昭和八八年(平成二五年)一二月三一日として逸失利益を計算すると、次のようになる。

イ 昭和五四年一月一日から昭和五八年一二月三一日までの逸失利益については、労働大臣官房統計情報部発行の「賃金センサス」の産業計・学歴計の男子労働者の各年の平均賃金を基礎として計算すると、

① 昭和五四年 317万五600円×0.2=63万5120円

② 昭和五五年 391万6800円×0.2=78万3360円

③ 昭和五六年 419万0700円×0.2=83万8140円

④ 昭和五七年 433万6100円×0.2=86万7220円

⑤ 昭和五八年 440万5800円×0.2=88万1160円

となる。

ロ 昭和五九年一月一日から同年一二月三一日までの逸失利益については、賃金の上昇率等を考慮し、昭和五八年の年間総合給付額の五パーセント増として計算すると

440万5800円×1.05×0.2=92万5218円

となる。

ハ 昭和六〇年一月一日以降については、昭和五九年の原告の得べかりし収入の二〇パーセント(九二万五二一八円)を基礎とし、新ホフマン係数(17.2211)を用いて中間利息を控除すると、

92万5218円×17.2211=1593万3271円

となる。

(3) よって、原告の逸失利益は、右(2)のイないしハの合計額である二〇八六万三四八九円である。

(二) 積極損害

原告は、本件手術後、本件障害を治療するため、多くの病院において治療を受けているが、そのために要した費用は、以下の内訳の合計額である金二八八万一七三五円である。

(1) 交通費 金九二万四四五〇円

(2) 医療費 金六一万二〇〇〇円

(3) 宿泊費 金三二万一五七五円

(4) 雑費 金一〇二万三七一〇円

(三) 慰謝料

原告が受けた肉体的・精神的損害に対する慰謝料を敢えて金銭に換算すると、金五〇〇万円が相当である。

(四) 弁護士費用

被告らが損害賠償金を任意に支払わないため、原告は弁護士に本件訴訟を委任し、弁護士報酬規定に基づき、その手数料及び謝金として、右荒ないし巖の合計額二八七四万五二二四円の一割である金二八七万四五二二円を支払う旨を約した。

右弁護士費用二八七万四五二二円は、本件手術と相当因果関係のある損害である。

(五) まとめ

よって、被告らは、原告に対し、右(一)ないし(四)の合計額である金三一六一万九七四六円及びこれに対する昭和五三年一〇月一七日(本件手術日)から支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金を支払うべき義務(被告国につき、国家賠償責任、使用者責任又は債務不履行に基づく損害賠償として、被告作田及び同岡につき、不法行為に基づく損害賠償として)がある。

(被告らの主張)

原告主張の損害については争う。

なお、原告は僧侶を営むものであり、仮に原告主張のような後遺障害があり、労働能力が一定程度低下したとしても、僧侶としての活動が不可能となったわけではないから、僧侶としての収入には何ら変化が生じないものと考えられる。そうであるとすると、「労働能力の減少によって格別の収入減を生じていないときは、被害者は、労働能力減少による損害賠償の請求をすることができない。」とする判例(最判昭和四二年一一月一〇日・民集二一巻九号二三五二頁)からみても、原告は逸失利益の賠償を請求することはできないものと言うべきである。

4  消滅時効の成否

(被告らの主張)

原告は、本件における原告代理人に依頼する前、大阪在勤の弁護士に訴訟提起を依頼し、昭和五六年六月二六日にはカルテ・レントゲン・看護日誌等について証拠保全を行った。

そうだとすれば、原告は、遅くとも同日には、損害及び加害者を知っていたものであるから、本訴のうち、不法行為を理由とする損害賠償請求権は、民法七二四条により、右証拠保全の日から三年を経過した昭和五九年六月二六日の経過により時効消滅しているものと言うべきである。

そして、被告らは、昭和六一年七月二九日の本件口頭弁論期日において、原告に対し、右消滅時効を援用する旨の意思表示をした。

(原告の主張)

民法七二四条にいう「加害者を知った時」とは、「加害者に対する賠償請求が事実上可能な状況のもとに、その可能な程度にこれを知った時を意味する」(最判昭和四八年一一月一六日・民集二七巻一〇号一三七四頁)が、医療過誤訴訟のように著しい専門性を有する分野において、証拠保全手続を行っただけで「損害賠償請求が可能な程度にこれを知った時」に該たるものと評価することはできない。

多くの場合、患者は、カルテ等の証拠保全によって、自らの治療経過を知り、これに基づいて将来の訴訟の可能性すなわち損害賠償請求が可能かどうかの調査を開始する。そして、右調査は、医療の専門性から膨大な時間を必要とするものであるから、仮に、証拠保全の日をもって医療過誤訴訟における時効の起算点と捉えるならば、医療過誤における不法行為を理由とする損害賠償請求は著しく困難なものとなるのである。

したがって、本件において、原告が証拠保全の手続を経たことをもって、民法七二四条にいう「加害者を知った時」に該たるものとは評価できないと言うべきである。

5  公務員の個人責任について

(被告作田及び同岡の主張)

被告病院における診療行為によって生じた損害の賠償については、一般法たる民法に優先して、特別法である国家賠償法が適用されるものと解されるが、同法の解釈上、損害賠償責任の主体は国又は公共団体であって、公権力の行使に従事した公務員個人が被害者に対する直接の賠償責任を負うものではない(最判昭和五三年一〇月二〇日・民集三二巻七号一三六七頁)から、公務員個人である被告作田及び同岡に対し、不法行為責任を問う原告の主張は、主張自体失当と言うべきである。

第三  当裁判所の判断

一  判断の前提となる事実について

前記争いのない事実及び知見、証拠並びに弁論の全趣旨を総合すれば、争点に対する判断の前提として、以下の事実を認めることができる。

1  原告が被告病院の診察を受けるに至るまでの経緯(<書証番号略>、原告本人)

(一) 原告は、昭和三五年三月、一五歳のころ、高知県中村市の幡多国保病院において、旧手術を受けたが、その際、片側の洞の手術における出血量が多量であったために、執刀医が、他方の洞の手術を躊躇したという経緯があった(<書証番号略>、原告本人)。

(二) 旧手術後一八年を経た昭和五三年四月ころ、原告は、左側頬部に腫れと痛みを感じるようになったため、同月二五日、高知県宿毛市押ノ川一一九六番地所在の聖ケ丘病院(以下「聖ケ丘病院」という。)耳鼻咽喉科の十川弥茂医師(以下「十川医師」という。)の診察を受け、術後性上顎嚢胞と診断された。

同月二九日、原告は、同院において、試験穿刺を受け、嚢胞内から、2.5ないし3ミリリットル程度の「やや黄色味を帯びた粘張のある液体」を吸引され、また、そのころ一〇日間ほど、抗生剤を服用した。

(三) 他方で、原告は、左側の歯列に浮揚感があったため、同年五月一〇日、高知県宿毛市内の酒井歯科医院をも受診したところ、「左側上顎の歯髄壊死の疑いがある。術後性上顎嚢胞の処置と歯の処置を一緒にやるのは、口腔外科だから、口腔外科を受診した方が良い。」と勧められた。

(四) そこで、原告は、同年六月中旬ころ、岡山大学医学部口腔外科を受診したところ、同院において、左上顎智歯(親しらず)の埋伏と左上顎臼歯の失活(生活反応マイナス)を指摘されるとともに、「手術が必要なので、入院予約をするように」との指導を受けた。

しかし、原告は、できることなら住所地近辺の病院で手術を受けたいと考えたため、その場では、手術のための入院予約はしなかった。

(五) 住所地近辺での手術を希望していた原告は、同年七月三日、高知県高知市内の高知市民病院口腔外科を受診したところ、同院の判断は、「埋伏智歯は摘出しなくても良い。まず、宿毛市内の耳鼻科で術後性上顎嚢胞の手術をやってもらって、その後、歯科で歯の処置をしてもらえば良い。」というものであった。

(六) 以上のように、各病院の判断が異なっていたことから、埋伏智歯の摘出の要否、術後性上顎嚢胞との同時処置の要否をどのように判断すべきか悩んだ原告は、昭和五三年八月、聖ケ丘病院耳鼻咽喉科の十川医師の紹介により、被告病院口腔外科の診断を受けることとし、同年八月二八日、被告病院第二口腔外科を初受診することとなった。

2  被告病院における初診時の診察内容等(<書証番号略>、被告作田本人、原告本人)

(一) 同日、被告病院第二口腔外科では、被告作田が、初診者として原告を診察、上記のような来院までの経緯を聴取したうえで、当日の外来担当医であった三木浩三歯科医師を中心とする同科医局員らに対し、

(1) 単純撮影法によるレントゲン検査と造影剤を用いたレントゲン検査とを行ったうえで、診断を下す。

(2) 左側上顎の歯髄の状態と処置について検討する。

旨を指示した。

(二) そして、同科では、被告作田の右指示に沿った検査として、

(1) 被告病院放射線科に対しレントゲン検査を依頼、放射線科では、上顎部分について、

① 後頭・前頭方向撮影法

② ウォーターズ撮影法

③ デンタル撮影法

④ パノラマ撮影法

⑤ 造影剤二ミリリットルを注入したうえでのパノラマ撮影法(以下「パノラマ造影法」という。)

を、即日実施・現像して、検査結果を第二口腔外科に報告した。

放射線科の所見は、造影剤なしの撮影(右①ないし④)による所見として、「左上顎犬歯から第一大臼歯(L3〜L6)の根尖部に母指頭大のレントゲン線透過性病変があり、辺縁は下方では比較的明瞭、歯根の形態に沿って波状となっている。左上顎智歯(L8)の埋伏あり。」、造影後の撮影(⑤)による所見として、「病変の範囲は左上顎中切歯から智歯まで(L1〜L8)。上縁は鼻腔底に及ぶ。」というものであった。

(2) 歯髄診断を実施、「左上顎犬歯から第一大臼歯(L3〜L6)は、全て生活反応なし」との所見が得られた。

(3) 嚢胞内の穿刺(注射器で内容物を抽出)により、濃厚で黒灰緑色の液体(膿)三ミリリットル程度を抽出した。

(三) 以上の検査の結果、被告病院第二ロ腔外科では、「術後性上顎嚢胞の疑い」という診断のもと、以後の治療方針としては、「入院・手術」が必要との判断を下したが、原告の住所地が遠方であって、紹介医である十川医師も「患者の住所のことも考えて、善処願います。」との要望を出していたことから、被告作田もしくは前記三木は、原告に対し、「手術が必要だが、被告病院での施術と愛媛大学歯学部口腔外科での施術のどちらを希望するか。」という趣旨の質問をした。

これに対し、原告は被告病院での施術を希望したため、被告病院において入院のうえ手術(手術予定日は同年一〇月一七日)を実施することに決定、原告は、同年一〇月一二日からの入院予約をして帰宅した。

(四) なお、原告は、帰郷後の同年九月八日にも疼痛を感じたため、聖ケ丘病院耳鼻咽喉科を受診して試験穿刺を受け、その際、「左側頬部軽度腫脹、疼痛のみで眼症状なし。」との診断を受けている。

3  入院後、本件手術前日までの経緯(<書証番号略>、被告作田本人、被告岡本人、原告本人)

(一) 同年一〇月一二日、原告は、予約通り、被告病院に入院した。

原告の病棟担当主治医は、椿本雅宥、石原吉孝両歯科医師であり、同人らによる入院時の所見は、以下のとおりである。

(1) 全身所見

体重 六三キログラム

顔貌 異常なし

血圧 一〇五/七五(左)、一〇〇/七〇(右)

脈拍数 毎分七二回

(2) 局所所見

イ ロ腔内

① 左側上顎臼歯部分の粘膜の色は異常なし

② 齦頬移行部は骨の裏打ちを認めない

③ 圧痛はある(+)が、腫脹はない(−)

④ 上顎洞炎の手術の跡あり

⑤ 左上顎犬歯から第一大臼歯まで、打診痛はない(−)が、歯牙の挺出感はある(+)

ロ 顔貌

① 左頬部に軽度の圧痛あり

② 左眼窩下部に違和感あり

ハ 所属リンパ節

① オトガイ下は異常なし

② 両側の後顎下部にエンドウ豆大のものを認める

③ 右側は風邪のためか、圧痛あり(+)

(二) 同月一三日、体温36.3度、脈拍九〇(午前六時三〇分の測定)。

原告は、「床変わりのため安眠できない」旨を訴えたが、その他は一般状態に特別な変化はなかった。

(三) なお、同月一二日ないし一三日にかけて、前記椿本、石原両歯科医師は、阪大病院中央臨床検査部に対し、術前検査として、肝機能検査、尿検査、感染症検査等を依頼、右検査は、同月一六日までに完了している(<書証番号略>)。

(四) 同月一四日、体温36.3度、脈拍六六(前同)。

原告は、睡眠不良のほか、咽頭部の不快感を訴えたので、複合トローチ六錠を処方した。また、排便不良のため、下剤を希望したので、午後九時ころ、ソルベン(便秘薬)二錠を投与した。

(五) 同月一五日、体温36.3度、脈拍九六(前同)。

前夜の睡眠は良好であり、他の全身状態の特別な変化は認められなかった。この日も、午後九時五〇分ころ、ソルベン二錠を投与している。

(六) 同月一六日、体温36.6度、脈拍六六(前同)。

原告は、「両側の患者の軒により、睡眠不良」である旨を訴えた。

この日の午後、原告が、椿本歯科医師に対し、「旧手術の際、出血が多量で医師が手術の続行を躊躇したという経験があるが、凝固検査の結果はどうでしたか。」と尋ねたことをきっかけに、止血検査として、出血時間・血小板数のほか、内因性凝固検査を実施することとなったが、検査の結果、異常は認められなかった(<書証番号略>、原告本人、被告岡本人)。

更に、この日、術中術後に使用する抗生剤のケフリン、セファメジン及び生理的食塩水(対照実験)について、皮内反応テストを実施したが、いずれの検査結果も「異常なし」であった。

なお、午後九時三〇分ころ、セルシン(精神安定剤)四ミリグラムと、ソルベン二錠を投与している。

(七) ところで、被告病院第二口腔外科では、原告の入院後、手術の前までの間に、医局員全員による手術検討会を実施、右検討の結果、

(1) 左上顎犬歯から第一大臼歯までの失活歯について、手術中に歯髄処置が必要であれば行い、場合によっては、歯根端の切除術を施すことも考えること

(2) 埋伏している左上顎智歯について、それが嚢胞の中に入っているようであれば、手術のときになるべく抜去すべきであるが、抜歯する以上は事前に切開線を検討しておく必要があること

(3) 手術は局所麻酔で実施すること

(4) 嚢胞除去後の対孔形成は、「和辻氏法」によって行うこと

(5) 手術後に、上顎洞の中に入れておくタンポンの長さを決めておく必要があること

等が決定された。

(八) 被告岡は、右術前の入院期間中に、原告に対し、現在の病状、手術内容等について、以下のような説明を行った。

(1) 病状について

① 病名が術後性上顎嚢胞であること

② 嚢胞が上顎洞の下底に存在すること

③ 左上顎智歯が埋伏していること

④ 失活歯である左上顎犬歯から第一大臼歯までのうち、犬歯と第二小臼歯については歯髄処置が施されているが、同第一小臼歯と第一大臼歯については、歯髄処置が施されておらず、「歯髄壊死」の状態のままであること

(2) 手術内容について

① 局所麻酔による手術であるから、手術中も意識があり、何か異常があれば、いつでも訴えることができること

② 口腔内から、上顎の歯肉部、頬側への順に切開していくが、原告は既に旧手術を経ているので、おそらく、上顎の前壁部の骨は存在しないものと思われること

③ 嚢胞摘出と同時に、それに接している埋伏智歯の抜去を行い、そのうえで下鼻道側壁部に対孔を形成すること

④ その後、ガーゼを入れて、術後しばらく経ってからガーゼを抜いていくこと

更に、被告岡は、手術中に起こり得る障害や副損傷として、術中出血の危険性について説明したが、視器損傷の可能性については、被告岡自身、本件手術の術野は上顎洞の下底に限局されており、視器損傷の可能性は全くないに等しいと認識していたため、何ら言及しなかった。

(九) なお、手術記録等には、執刀医として、被告作田・被告岡両名の名前が併記されているが、実際には、被告岡が本件手術を執刀し、被告作田は右手術に指導医として立ち会ったのみで執刀していない。また、その旨を術前に原告に告知していない。

4  本件手術当日の経緯(<書証番号略>、被告作田、被告岡、原告本人)

(一) 同月一七日朝の原告の状況は、体温36.3度、脈拍九〇(前同)で、前夜の睡眠は良好であり、一般状態に特別な変化は認められなかった。

(二) 原告は、午後〇時三〇分ころ、手術室に搬送され、前投薬として、アトロンピン(副交感神経遮断薬)0.5ミリグラム及びオピスタン(合成麻薬性鎮痛薬)五〇ミリグラムの投与を受けた。

(三) 午後一時一〇分、執刀医である被告岡、その指導医である被告作田のほか、助手として石原歯科医師も立ち会いの下、本件手術が開始された。

なお、本件手術以前、被告岡は、埋伏智歯の抜去手術については相当数の執刀経験があったが、術後性上顎嚢胞の手術を執刀したのは、本件が初めてであった。

(四) 本件手術の実施手順は以下のとおりである。

(1) 局所麻酔

本件手術は、次のとおり、四か所の局所麻酔により実施された。

①左側眼窩下部(1.5ミリリットル)

②翼口蓋窩・大口蓋孔(一ミリリットル)

③切歯孔(一ミリリットル)

④頬部辺線歯肉

(2) 齦肉移行部の横切開・粘膜剥離

局所麻酔実施後、まず、口腔内の左上顎中切歯付近から、第一大臼歯付近に至る齦肉移行部(歯肉と頬部の移行部分)の粘膜及び骨膜を、約三ないし四センチメートルにわたって横切開し、右切開部の粘膜及び骨膜を同時に骨壁から剥離して、顔面骨壁を露出させた。

なお、粘膜及び骨膜を骨壁から剥離する作業中、旧手術による骨壁の欠損部から露出していた上顎洞内の嚢胞の一部が破れ、中から、暗褐色の内容液が流出した。

(3) 骨壁の切除

本件では、既に、旧手術によるものと見られる骨欠損が、左上顎犬歯から第一大臼歯にかけての歯根部付近に存在したため、ノミ等を用いて新たに顔面骨壁の削開を行う必要はなく、右骨欠損部分を鉗子(スタンツェ)によって拡大することによって、術野を確保することになった。

具体的には、被告岡は、左上顎側切歯(L2)の近心側から左上顎第一大臼歯(L6)の近心側まで、歯牙の根尖部によりも上方の部分の骨壁を鉗子(スタンツェ)で切除、ほぼ楕円形の形の開口部を作成した。

(4) 嚢胞の除去と洞内所見

被告岡は、骨壁の切除によって術野を確保したのち、嚢胞の除去作業を開始した。除去作業の手順は、おおむね次のとおりである。

イ まず、被告岡は、上顎洞内に存在する嚢胞の内容物を吸引して、膨らんでいた嚢胞を中身のない縮んだ状態(嚢胞壁だけが残存する状態)にした。

この際、吸引された内容物の量はそれほど多量ではなかった。

ロ 嚢胞の内容物を吸引すると、それまで嚢胞によって遮られていた視界が開け、以下のとおり、上顎洞内の様子が、ある程度肉眼で視認できるようになった。

① 縮んだ嚢胞は、上顎洞の下底部分に三個ほど存在するのが視認できた。

嚢胞は、多房性であり、後方部では左上顎智歯(L8)と接触していた。

② 上顎洞内の粘膜は「やや浮腫状」であり、上顎洞の上方部に本来であれば存在するはずの自然孔部は、瘢痕様に骨が癒着し、閉鎖していた。

③ また、旧手術の際、「コールドウェル・ルック法」という手術方法に則って形成されたはずの「対孔」も、既に閉鎖していた。

④ ただし、被告岡から見て手前右側にあたる下眼窩神経孔付近については、死角になるため、現実には視認できておらず、嚢胞の存否は確認されていない。

⑤ なお、術者である被告岡にとって、眼窩底(上顎洞上方壁)は直視できない位置関係にあった。

ハ 次いで、被告岡は、嚢胞(この段階では内容物を抽出ずみなので、嚢胞壁だけが残存している状態である。)を、先の丸いヘラのような形をした粘膜剥離子(先端の幅は五、六ミリメートル程度)を用いて、上顎洞内の粘膜の一部とともに削ぎ取ることによって、上顎洞内から剥離・除去した。

除去の対象となった部位は、後方では、左上顎智歯の存在する付近にまで達した。

(5) 埋伏智歯の抜去

左上顎智歯(埋伏智歯)付近の嚢胞を除去し終えると、同歯の根尖部が視認できたので、被告岡は、埋伏智歯の抜去作業を開始した。

抜去作業の手順は、おおむね以下のとおり行われた。

イ 被告岡は、木槌と丸ノミ(先端は五ミリ程度)を用いて、左上顎智歯の根尖部の周囲にある上顎骨を、同歯の上と下の三分の一部分にわたって削除した。

ロ 骨削除後、被告岡は、鉗子(先端がペンチのような形状で、先端部の大きさが三、四ミリメートル強のもの)で同歯を摘まみ、上顎洞外に摘出した。

ハ 同歯摘出後の所見として、同歯の影に隠れる形で、それまでは明らかでなかったが、同歯の歯冠相当部である上顎洞後壁(上顎結節部)の骨が一部欠損しており、粘膜だけの状態であることが判明した。

(6) 隔壁の除去

嚢胞を除去し、埋伏智歯を抜去すると、該当部分の骨は、「隔壁」という突起状のものが形成され、凹凸のある状態であった。

そこで、被告岡は、エンジンドリルを用いて、右隔壁部分の骨を滑らかにする作業をおこなった。

(7) 対孔形成

上述の作業を全て終えた後、上顎洞と鼻腔とを結ぶ対孔を人工的に形成する作業(対孔形成)に取り掛かることとなった。

このとき、被告岡は、指導医である被告作田に対し、対孔をどのあたりに設けるべきかについて助言を求めた。

前記3(七)のとおり、術前の検討会の結論としては、対孔形成は「和辻氏法(デンカー法)」という術式に則って行うものとされていたが、被告作田は、和辻氏法では骨の切除範囲が多くなりすぎるという理由で、「コールドウェル・ルック法」に準じた方式で、上顎洞の正中(上顎洞の鼻腔方向の側壁。下鼻道側壁に該当する。)部分の、旧手術の際に作成した旧対孔よりも高い位置に、対孔を形成すべきことを指示した。

そこで、被告岡は、右被告作田の指示した部位に、メスで半円形の穴を開けて、鼻腔内に通じる対孔を形成した。

(8) ガーゼタンポンの留置

被告岡は、感染予防及び出血対策のため、テトラサイクリンという抗生物質を浸したガーゼを、タンポン状にして、上顎洞内に留置、その一端を、対孔から鼻腔内に出しておいた。

(9) 縫合

(五) 以上の手術は、同日午後一時一〇分から二時二五分までの約七五分間を要したが、手術中の原告の姿勢は、手術台の上に仰向けに横たわり、顔の左側部分が上になるように、頭を横に向けるというものであった。

(六) 本件手術を終えた原告は、午後二時四〇分ころ、術中輸液であるクリニット(輸液用製剤)五〇〇ミリリットルの注輸を継続した状態で、病棟に帰室した。

このとき、原告は、体温三七度、脈拍八〇であり、口の渇きと咽頭痛を訴えたが、疼痛はなかった。

(七) 午後三時五〇分ころの担当医(椿本歯科医師または石原歯科医師であると推測される。)の所見によれば、「血圧は一三八/一〇〇、脈拍数は毎分六六回。疼痛は軽度であり、止血も良好」であった。

(八) 午後四時二〇分ころ、原告は、ソリタT3G(輸液用製剤)五〇〇ミリグラムと、ビタノイリン(ビタミンB1、B6、B12製剤)一単位及びビタミンB2一アンプル(二〇ミリグラム)の輸液を追加され、更に、ビタミンC一アンプル(五〇〇ミリグラム)を側管より注入された。

(九) 午後七時ころ、原告は、体温三七度、脈拍七二であり、左頬部に腫脹が認められ、軽度の痛みと重圧感を訴えたので、氷嚢を使用させる措置が採られた。

なお、原告は、同日の夕食として、五分粥三〇〇グラムと汁一五〇グラム及び副食少々を摂取している。

(一〇) 午後九時二〇分ころ、担当医によって、止血状態が良好であることが再び確認された。

(一一) 午後一〇時三〇分ころ、点滴が終了したが、原告が疼痛を訴えたので、午後一〇時四〇分ころ、ペンタジン(鎮痛剤)一アンプル(一五ミリグラム)が筋注された。

(一二) なお、同日夕食後から退院まで、原告は、ケフレックス(抗生剤)二グラム、ビオフェルミンR(活性乳酸菌製剤)四グラム及びソルベン(便秘治療薬)二錠を、毎食後及び睡眠前に服用を指示されている。

(一三) 同夜、原告は、氷嚢を使用しつつ就寝した。

5  術後入院期間中の経緯(<書証番号略>、被告岡本人、原告本人)

(一) 同月一八日

(1) 午前六時三〇分ころ(体温37.7度、脈拍七二)

左頬部に腫脹が認められ、軽度の、疼痛と重圧感がある。鼻孔から、血液の混入した浸出液が流出していた。

昨晩から使用していた氷嚢の使用を中止し、午前七時ころから、プリースニッツ罨法(温罨法)に切り換えた。

(2) 午前一一時ころ(体温37.6度、脈拍八四)

左頬部の腫脹と疼痛は継続、原告は、「頭痛もあり、気分がすぐれない。」旨を訴えた。

(3) 午後二時ころ(体温37.7度、脈拍八四)

依然として、原告の左頬部の腫脹と疼痛は継続していた。

(4) 午後七時ころ(体温37.3度、脈拍八四)

上口唇と左頬部の腫脹及び疼痛が継続、鼻孔から血液の混入した浸出液も流出しているが、量はやや少なくなった。

原告は、当夜の夕食として七分粥を全量摂取した。

(5) 午後一〇時ころ、原告は、ペンタジン(鎮痛剤)一アンプル(一五ミリグラム)を注射された。

(6) なお、同日の担当医による所見(時刻不明)は、

イ 食欲良好。体温37.8度。

ロ 左眼窩下部が、全体的に腫脹しており、押さえると軽度の痛み(圧痛)がある。

ハ 自発痛はある(+)が、知覚異常はない(−)。

ニ 左眼は異常なし。

ホ 口腔内の所見としては、頬部に異常はないが、軽度の出血を認める。というものであり、以上の所見に対する処置として、患部の、「洗浄」が指示されている。

(二) 同月一九日

(1) 午前六時三〇分ころ(体温37.6度、脈拍六六)

原告は、睡眠は良好であるが、咽頭痛がある旨を訴えた。

原告の左頬部の腫脹は持続しているが、疼痛はなく、血液の混入した浸出液はほとんどなくなった。

(2) 午前七時ころ

原告が入院前から罹患していた椎間板ヘルニアに対処するため、腰部が沈みすぎないよう、ベッド上に蘇生板を使用することとした。

(3) 午前一一時ころ(体温37.3度、脈拍七二)

左眼瞼から頬部にかけて腫脹が増強(+)、頬部から耳下にかけて疼痛がある(+)。

(4) 同日の担当医による回診時(午前一一時から午後二時までの間と推定される。)の所見は、

イ 体温37.5度。

ロ 腫脹が、左側頬部全体に拡がり、昨日よりも大である。

ハ 自発痛はなく(−)、圧痛もない。というものであり、以上に対する処置として、患部の洗浄とともに、術後、上顎洞内に残置されたガーゼタンポンを五センチメートル抜去する措置が採られた。

なお、その際、原告は「入院後、ベッドの具合が悪く、椎間板ヘルニアによる腰痛がある。」旨を訴えたので、担当医は、原告に対し、「更にひどくなるようなら、明日、整形外科(阪大病院整形外科)を受診すること。」と指示した。

(5) 午後二時ころ(体温37.8度、脈拍一〇二)

左鼻腔より少量の出血があり、原告は、「起床時に、椎間板ヘルニアのため腰部痛がある。」旨を訴えた。

(6) 午後七時ころ(体温37.7度、脈拍九六)

依然として、腰痛と顔面腫脹が持続していた。

(三) 同月二〇日

(1) 午前六時三〇分ころ(体温37.2度、脈拍九六)

顔面、特に眼瞼部の腫脹は強度である。

腰痛が治まらないので、夜間は付添ベッドを使用したところ、良く眠れ、疼痛も少し治まったとのこと。

(2) 同日の担当医による回診時(午前六時三〇分から同一一時までの間と推定される。)の所見は、「自発痛はない(−)が、左側に嚥下痛がある。」というものであり、患部処置として、上顎洞内に残置されたガーゼタンポンを五センチメートル抜去する措置が採られた。

なお、前日に指示のあった「整形外科受診」については、当日が整形外科の学会開催中であるとの理由で受診できなかった。

(3) 午前一一時ころ(体温37.0度、脈拍七八)

依然として、両眼瞼から頬部にかけて腫脹が認められる。原告は腰痛を訴える。

(4) 午後二時ころ(体温37.6度)

(5) 午後七時ころ(体温37.3度、脈拍八四)

原告は、手術後初めて新聞を読んでみたところ、新聞を投げ捨てたくなるような強い眼の疲れと頭の疲れ、肩凝り等を感じた。そこで、看護婦に対し、「眼精疲労があり、読書をする気力がなく、全身倦怠感がある。」旨を訴えた。

(四) 同月二一日

(1) 午前六時三〇分ころ(体温36.5度、脈拍九〇)

前夜の睡眠は良好であったが、嚥下痛と盗汗(寝汗)がある。

(2) 同日の担当医による回診時(午前六時三〇分から同一一時までの間と推定される。)、患部処置として、上顎洞内に残置されたガーゼタンポンを五センチメートル抜去する措置が採られた。

(3) 午前一一時ころ(体温36.6度、脈拍七八)

依然として、腫脹が認められ、原告は全身の倦怠感が持続している旨を訴えた。

(4) 午後二時ころ(体温37.2度、脈拍八四)

(5) 午後七時ころ(体温37.0度、脈拍六六)

口腔内の痛み及び腰部の痛みは持続しているが、顔面の腫脹は軽減した。

(五) 同月二二日

(1) 午前六時三〇分ころ(体温36.6度、脈拍八四)

発汗多量。

顔面の腫脹があり(+)、鈍痛も持続している。

腰部の痛みも依然として持続している。

(2) 午前一一時ころ

原告は、「左鼻腔より、ごく少量の出血が一日一〇回程度ある。」旨を訴えた。

(3) 同日の担当医による回診時(午前一一時から午後二時までの間と推定される。)、患部処置として、上顎洞内に残置されたガーゼタンポンを一〇センチメートル抜去する措置が採られた。

(4) 午後二時ころ(体温36.8度、脈拍九〇)

顔面の腫脹は軽減し、痛みもなく、他に特に変化は認められない。

(六) 同月二三日

(1) 午前六時三〇分ころ(体温36.6度、脈拍七八)

原告は、「患部にチクチクした痛みがあり、余り眠れなかった。」旨を訴えた。

(2) 同日の担当医による回診時(午前六時三〇分から同一〇分三〇分ころまでの間と推定される。)、患部処置として、上顎洞内に残置されたガーゼタンポンを一〇センチメートル抜去する措置が採られた。

(3) 午前一〇時三〇分ころ

原告は、腰痛(椎間板ヘルニア)治療のため、阪大病院整形外科を受診した。

(4) 午後二時ころ(体温36.8度、脈拍一〇八)

(5) 午後七時ころ

原告が「患部の深部に軽い疼痛を感じる」旨を訴えたのに対し、担当看護婦は「その痛みは、左鼻腔内に挿入したガーゼタンポンを、患部処置時に少しずつ除去していることによるものではないか。」と説明。

(6) なお、原告は、同日深夜、入眠できない旨を訴えたので、翌二四日午前〇時三〇分ころ、当直医の指示により、セルシン(精神安定剤)二ミリグラム二錠を投与された。

(七) 同月二四日

(1) 午前六時三〇分ころ(体温36.7度、脈拍七二)

セルシンの効果によるものか、前夜の睡眠は良好であった。

(2) 同日の担当医による回診時(午前六時三〇分から午後二時までの間と推定される。)の所見は、「口腔内の手術創の治癒は良好」というものであり、患部処置として、洗浄措置と上顎洞内に残置されたガーゼタンポンを約一〇センチメートル抜去する措置とが採られた。

(3) 午後二時ころ(体温36.9度、脈拍八〇)

(八) 同月二五日

(1) 午前六時三〇分ころ(体温36.3度、脈拍九〇)

前夜の睡眠は良好であったが、血液の混入した鼻汁を認めた。

(2) 同日の担当医による回診時(午前〇時五〇分ころと推定される。)、手術時に上顎洞内に残置したガーゼタンポンを、残り全部抜去する措置を行った。

その際の担当医の所見は、「疼痛や腫脹はないが、吸気によって喉から出血を認める。また、左鼻孔からも少量の出血がある。」というものであった。

(3) 原告は、午後〇時五〇分ころから、阪大病院整形外科に出診、午後五時三〇分ころに帰室した。

(4) 午後七時ころ(体温37.0度、脈拍九六)

(九) 同月二六日

(1) 午前六時三〇分ころ(体温36.3度、脈拍九六)

(2) 同日の担当医による回診時(午前六時三〇分から午後二時までの間と推定される。)に、患部の措置(内容の詳細は不明だが洗浄措置が中心であろうと推定される。)を行った。

(3) 午後二時ころ(体温36.4度、脈拍九〇)

(4) 午後七時ころ

原告は、軽い腰痛が持続している旨を訴えた。

(一〇) 同月二七日

(1) 午前六時三〇分ころ(体温36.2度、脈拍九六)

前夜の睡眠は良好であったとのこと。

(2) 午前一〇時ころ

原告は、患部の処置(内容の詳細は不明だが洗浄措置が中心であろうと推定される。)を受けたうえで、被告病院を退院した。

6  被告病院退院後、原告が阪大病院を受診するまでの経緯(<書証番号略>、被告作田本人、被告岡本人、原告本人)

(一) 同月三〇日、原告は、退院報告と術後治療とを兼ねて、聖ケ丘病院耳鼻咽喉科の十川医師の診察を受け、患部洗浄の後、ネブライザー(噴霧器)によって薬剤を鼻腔内に噴霧する治療を受けた。(<書証番号略>、原告本人)

(二) 同年一一月五日、原告は、腰痛治療のため、バスと列車を利用して、高知県高岡郡中土佐町久礼(駅名は「土佐久礼」)所在の長崎治療院に出向き、掛かりつけの整体術師による整体治療を受けた。

その晩、原告は、二時間以上にわたって文庫本を読んでいたところ、強い眼痛を覚え、読書の継続を断念した。

なお、同年一〇月二〇日の入院中の眼痛以来、原告が眼痛を自覚したのは、このときが初めてであった。(<書証番号略>、原告本人、弁論の全趣旨)。

(三) 同月八日、本を読もうとした原告は、眼及び頭の疲れ、首筋や肩の凝り等を自覚した。

そこで、原告は、高知県宿毛市宿毛四三〇番地所在の清谷医院を訪れ、清谷二郎医師(内科医)に対し、眼精疲労の存在を訴えたところ、同医師から栄養剤の注射を受けた。(<書証番号略>、原告本人)

(四) 同月二〇日、原告は、聖ケ丘病院の十川医師に対しても、眼精疲労の存在を訴えた。(<書証番号略>、原告本人)

(五) 同月三〇日、原告は、被告岡に対し、術後検査を依頼する趣旨の書簡(<書証番号略>)とともに、自分で作成した熱計表(<書証番号略>)を送付した。(<書証番号略>、被告岡本人、原告本人)

(六) 同年一二月五日、前日に強い眼精疲労を自覚した原告は、高知県中村市於東町一四番地所在の横山眼科を受診したところ、

(1) 視力検査により、右眼視力0.1、左眼視力0.1

(2) 検査近点連続測定(調節近点距離と調節力を測定する検査)により、調節近点は、右眼について一七ないし二〇センチメートル、左眼について一九ないし二四センチメートル

との検査結果となり、「両眼、近視及び調節衰弱」と診断され、ビタメジン(ビタミンB1、B6、B12複合剤)、ATP(アデノシン三リン酸ナトリウム・代謝性剤)、レスミット(精神神経用剤)を内服投与された。(<書証番号略>、原告本人)

(七) 同月一一日、原告は、術後検査のため、被告病院第二口腔外科を受診して、被告岡及び同作田に対し、「左頬部及び鼻の横の部分に引きつり感がある。」旨を訴えた。

そこで、同被告らは、被告病院放射線科に対し、術後検査としてのレントゲン検査(パノラマ撮影法、前頭後頭撮影法、ウォーターズ撮影法によるもの)を依頼した。

右依頼に対する放射線科の回答は、「左上顎洞が曇った状態で、パノラマ撮影によれば、小臼歯から大臼歯にかけての歯根から上顎洞への小柱模様の像が消失しています。その部位の歯根間扇形レントゲン線透過が認められませんので、治癒傾向に向かっていると考えられます。」というものであったので、被告作田は、術後経過自体は良好であると判断したうえ、原告の前記訴えに対しては、「手術の後は、どうしても、瘢痕治癒といって、跡形が硬くなって少し引きつるような感じが続くものである。」との説明を行った。(<書証番号略>、被告作田本人、被告岡本人、原告本人)

(八) 原告は、同月一三日付で、被告作田及び同岡に対し、前項の診察に対する礼状を添えて、お礼の品物を送付した。(<書証番号略>、被告作田本人、原告本人)

(九) 昭和五四年初頭から、断続的に強い眼精疲労を自覚していた原告は、同年一月一六日を初回として、七回にわたり、聖ケ丘病院耳鼻咽喉科十川医師により、眼精疲労への対処として、ヌトラーゼ(ビタミンB1製剤)二〇ミリグラムの静注を受けた。(<書証番号略>)

(一〇) 右十川医師は、原告が吐き気や気分の悪さを訴えたことから、聖ケ丘病院の精神科に対し、原告の頭部のCTスキャン撮影を依頼、同年三月一四日ころ、原告は、同科でCTスキャンの撮影を受けたが、検査の結果は、「脳内に異常はない。」というものであった。(<書証番号略>、原告本人)

7  阪大病院における診断・治療内容等(<書証番号略>、証人真鍋禮三、被告作田本人、被告岡本人、原告本人)

(一) 同月一五日、激しい眼痛を自覚した原告は、被告病院を訪れて、被告岡に対し、眼精疲労の存在を訴えるとともに、阪大病院眼科への院内紹介状作成を依頼、被告岡は右申し出に応じて、即日、院内紹介状を作成した。

なお、右紹介状には、「昨年一〇月一七日、局所麻酔下にて嚢胞の摘出及び上顎洞の根治術を施行いたしました。経過は比較的良好なのですが、手術後三週間ころより眼精疲労を訴えております。」との内容が記載されている。(<書証番号略>、被告岡本人、原告本人)

(二) 原告は、翌一六日、被告岡の右院内紹介状に基づき、阪大病院眼科中林正雄医師(以下「中林医師」という。)の診察を受けた。

同医師は、即日、マドックス検査(斜視の検査)、シノプトフォア検査(両眼視機能の検査)、複像検査(眼筋麻痺の麻痺筋を同定するための検査)等を実施した結果、「外斜位、両眼調節衰弱の疑い、両眼輻輳不全、両眼散瞳」と診断、原告の右症状に対する対処として、

(1) プレドニン(副腎皮質ホルモン剤)二〇ミリグラムを七日分、同一〇ミリグラムを七日分、同五ミリグラムを一四日分、それぞれ処方し、原告に対しては、「量を徐々に減らして使用すること」という注意を与えた。

(2) また、ビタノイリン(ビタミンB1、B6、B12製剤)を、三錠ずつ二八日分処方した。(<書証番号略>、原告本人)

(三) 同日、阪大病院眼科の診察を終えた後、原告は、被告病院第二口腔外科を訪れ、被告岡及び同作田に対し、眼科での診察の結果を報告するとともに、眼精疲労の存在を訴え、眼精疲労と本件手術の関係について質問した。

これに対し、被告作田は、手術から約五か月が経過していること、手術領域は上顎洞下底に限局されており、眼窩とは離れていること、原告の眼症状が、通常、上顎洞内の手術の副損傷として想定される眼症状とは異なっていること等の理由を挙げて、原告の眼症状と本件手術とは無関係である旨の説明を行った。

また、被告岡は、同日、被告病院放射線科に対し、術後検査としてのレントゲン検査を依頼しているが、同科の回答は、「レ線的には、前回(6(七)項記載の昭和五三年一二月一一日のレントゲン検査を指す。)と比べて著変認めず。」というものであった。(<書証番号略>、被告作田本人、原告本人)

(四) 同年四月二三日、原告は、阪大病院眼科を再び受診、中林医師に対し、「薬を飲みはじめて一週間は疲れて寝た。眼痛はなくなったが、処方された薬を飲みおわったころから、少し眼の奥の痛みが起こってきた。」旨を告げた。

そこで、中林医師は、原告に対し、調節幅の検査、血液検査及び精密視野検査を行った結果、次のような所見を得た。(<書証番号略>、原告本人)

(1) 調節幅は、右眼が五ジオプトリー、左眼が七ジオプトリーである。

(2) 視野については、ゴールドマン視野では異常がないが、フェルスター視野では「右下部沈下、左鼻側下部沈下」が認められる。

(3) 血液検査の結果は特段の異常が認められない。

(五) 同年五月一七日、原告は、被告病院口腔外科を受診、被告作田に対し、眼症状の原因に関する詳細な説明を求めた。

これに対し、被告作田は、次の理由を挙げて、原告の眼症状と本件手術との関連を否定した。(<書証番号略>、原告本人)

(1) 手術領域は上顎洞下底に限局されており、眼窩とは離れていること

(2) 原告の眼症状が、通常、上顎洞内の手術の副損傷として想定される眼症状とは異なっており、類似の症例の報告がないこと

(3) 本件手術と原告の眼症状とが関連があるのであれば、手術による侵襲のあった左眼だけに障害が出るはずであるのに、原告の場合、両眼に障害が出ていること

(4) 手術による器質的疾患が原因であるとすれば、一定の症状が継続的に出るはずであるのに、原告の症状には波があること

(六) 翌一八日、原告は、阪大病院眼科を三たび受診した。

中林医師は、原告に対し、マニトール(脳圧眼圧降下・利尿剤)の点滴を行ったうえ、右点滴後の病状の変化を連絡するように指示した。

また、同日、同医師からの阪大病院中央放射線部に対する頭部二方向撮影法、ウォーターズ撮影法及び断層撮影法(前額面について一センチメートル間隔で二ないし九センチメートルの間のもの)によるレントゲン検査の結果は、「両側上顎洞は暗い。左上顎洞の内壁に、下鼻甲介下部とトモ(断層撮影写真のこと)四ないし五センチメートル断層において、上壁内方の一部が不鮮明でこの部の骨欠損破壊が疑われる。外側壁もやや不鮮明で、特に前方頬骨は骨髄炎様に骨小柱の密度に濃淡がある。」との所見であった。(<書証番号略>、原告本人)

(七) 同年六月四日、原告は、中林医師並びに被告作田及び同岡に対し、前記マニトール点滴後の病状変化を報告する書簡(被告作田及び同岡宛の書簡が甲六一であるが、中林医師宛のものも右に類似するものであったと推測される。)を送付した。

右書簡には、同年五月二五日の病状として、「マニトール点滴後は点滴前に較べ少し眼が楽になり、読書三〇分位可能、テレビを一〇ないし二〇分視ることも可能。しかし、直ぐに眼が病的に疲れてくる。自覚症状として大巾に眼精疲労が改善されたようにも思われず、健康眼には程遠い。」旨が記載されており、マニトールの点滴によっても、原告の眼症状には大きな変化がなかった様子が窺われる。

なお、中林医師は、このころ、阪大病院から関西逓信病院に転出したため、中林医師による原告の治療は、以後、行われなかった。(<書証番号略>、原告本人)

(八) 同年六月二六日、原告は、被告病院第二口腔外科を訪れ、被告岡に阪大病院耳鼻咽喉科への院内紹介状の作成を依頼、同被告はこれに応じた。

その後、原告は、阪大病院眼科を受診したが、前記のとおり、中林医師は他の病院へ転出していたので、原告の同科における担当医は中尾雄三医師(以下「中尾医師」という。)に変更となった。

中尾医師の同日の所見は、次のとおりであった。

(1) 原告の訴えの内容は「読書ができない、太陽がまぶしい、左鼻根部のつっぱる感じ」等であるが、複視の訴えはない。

(2) 瞳孔は直径七ミリメートルで等瞳である。

瞳孔の対光反応は速いが、縮瞳は不十分。

マーカスガン瞳孔(視神経交差よりも抹消の部分において、一眼の視神経ないし網膜に障害がある場合に発生する。)の所見はない(−)。

(3) 近見反応に異常がある。

(4) 眼球運動は十分かつスムーズである。

(5) 中心小窩は両眼とも異常はない。

この所見から、同医師は、原告について、「軽い内眼筋マヒと輻輳障害と心因的因子」とが合わさって、「瞳孔の散瞳、調節障害、輻輳障害」を引き起こし、その結果、「羞明、近見障害、眼精疲労」という症状が生じているものと判断、右障害の根本的原因としては、「術後性」のものであるか、もしくは、「中脳腫瘍、松果体腫、松果体石灰化、副鼻腔疾患等の他の原因」があるのではないかと考えるに至った。

そこで、同医師は、阪大病院耳鼻咽喉科に対し、同日付院内紹介状を発して、術後状態についての所見を求めることとし、更に、阪大病院中央放射線部に対して、副鼻腔、眼窩内、中脳及び松果体に関するCTスキャン検査を依頼した。

阪大病院中央放射線部は、即日、CTスキャン検査を実施したうえ、中尾医師に対し、「左上顎洞内側壁の欠損は手術後の変化と思われる。右上顎洞は中隔で仕切られており、粘膜肥厚は明らかでない。眼窩、頭蓋内は異常なし。」との回答を行った。(<書証番号略>、原告本人)

(九) 被告岡及び中尾医師の紹介により、原告は、翌二七日、阪大病院耳鼻咽喉科を受診、玉置弘光医師(以下「玉置医師」という。)の診察を受けることとなった。

診察の結果、同医師は、被告岡と中尾医師に対し、それぞれ、「術後性頬部嚢胞の手術前のレントゲンフィルムと術後のフィルムを見ますと、手術は非常にうまくいっています。眼症状は手術と直接関係ないと思われますが、時々は輻輳障害などの報告(足川医師の諸論文)はあります。脳内の精査が必要と考えます。」という内容の回答を行った。(<書証番号略>、原告本人、弁論の全趣旨)

(一〇) 阪大病院耳鼻咽喉科で、玉置医師から脳神経外科受診を勧められた原告は、同日、被告病院第二口腔外科を訪れ、被告岡に対し、被告病院脳神経外科への院内紹介状の作成を依頼、同被告はこれに応じた。

また、同日、原告は、阪大病院眼科において、中尾医師に対し、阪大病院脳神経外科への院内紹介状の作成ならびに脳波検査の実施を依頼、同医師は、脳神経外科への院内紹介状とともに、梅新診療所(他病院)に対する脳波検査の依頼状を作成した。(<書証番号略>、原告本人)

(一一) 翌二八日、原告は、阪大病院脳神経外科で六川二郎医師(以下「六川医師」という。)の診察を受けたが、同医師の所見は、「CTスキャンには異常なし、神経学的に異常なし、外科的治療適応の徴候はない。」というものであった。

また、原告は、同日、梅新診療所において、脳波検査を受けたが、同診療所の中尾医師に対する回答は、「注目すべき所見なし」というものであった。(<書証番号略>、原告本人)

(一二) 以上のように、原告は、同年三月から六月にかけて、被告病院第二口腔外科のみならず、阪大病院の眼科、耳鼻咽喉科、脳神経外科等を受診、自分の眼症状の治療を依頼しつづけたが、特段の治療効果も挙がらず、かつ症状の原因についても明確な回答が得られなかったため、しだいに、被告病院及び阪大病院に対する不信感を募らせ、阪大病院での受診を打ち切って、新たに東京の病院で治療を受けたいとの思いを強く持つに至った。

そして、原告は、同年一〇月、阪大病院耳鼻咽喉科と阪大病院眼科をそれぞれ受診、同科としての最終的診断を仰ぐこととした。

(1) まず、原告は、同月二九日、阪大病院耳鼻咽喉科において玉置医師の再診を受け、同日、同医師作成の診断書(<書証番号略>)の交付を受けた。

右診断書によれば、同医師の左頬部嚢胞術後の状態に関する診断は、「昭和五三年一〇月二七日(一七日の誤り)、左上顎洞嚢胞の手術のあと、まぶしい、近見障害、焦点調節障害の訴えで、昭和五四年六月二七日に当科受診する。鼻内は全く正常、レントゲン(上顎洞)も著変なく、鼻科的所見と上記愁訴との関係はないように思われ、脳外科受診を勧める。昭和五四年一〇月二九日再診するも、鼻内所見は変わらず、本人は左頬部限局痛、左顔面知覚鈍麻を訴えるが、手術との関係につき、三叉神経は関与している可能性あるも、他については全く分からない。」というものであった。

(2) 次に、原告は、翌三〇日、阪大病院眼科を受診、同科の真鍋禮三教授(以下「真鍋医師」という。)及び中尾医師の診察を受けた。

真鍋医師は、立体視検査等の診察を実施したうえで、原告について、「瞳孔径は等瞳で六ミリメートル。両眼複視は存在しない。対光反射はある。立体視ができないこと(−)や眼精疲労、頭痛の原因としては、いずれも上位中枢性の障害が疑われる。」との所見を得た。

また、真鍋医師に引き続き診察した中尾医師は、眼圧測定、眼底写真撮影等の諸検査を実施したうえで、

イ 瞳孔は直径六ミリメートルで等瞳である。対光反応は速いが、両眼とも直径三ミリメートルまで十分に縮瞳しない。

ロ 眼球運動は十分かつスムーズだが、輻輳運動はできるが十分でない。

ハ 中心不連続光融合頻度は、右眼五四ヘルツ、左眼五三ヘルツ。

ニ 河本式中心暗点計では、両眼とも暗点なし。

ホ メガネによる矯正後の視力は、右眼0.9、左眼0.7

ヘ 眼圧は、右眼一三、左眼一六(単位はミリ水銀柱)で異常なし。

ト 中心小窩については、左眼は異常がないが、右眼については、輪反射は正常だが、硬性白斑が認められる。との所見を得た。

なお、この日、原告は、真鍋、中尾両医師に対し、「左眼の単眼複視」を訴えているが、右訴えは、原告がこれまでに同科で訴えたことのない新たな症状であった。

以上の診察を終えた後、原告は、中尾医師に対し、「北里大学病院又は川崎医科大学病院へ転院したいので、紹介状及びCTスキャンのコピーが欲しい。」旨を述べて、帰宅した。(<書証番号略>、証人真鍋禮三、原告本人)

(一三) その後、原告の求めに応じ、阪大病院眼科及び脳神経外科で作成された診断書及び紹介状等の内容は次のとおりである。(<書証番号略>、原告本人)

(1) 眼科中尾医師の同年一一月一三日付紹介状

イ 原告は、昭和五三年一〇月一七日、被告病院口腔外科で左上顎嚢胞の手術を施行され、手術後、三週間頃から眼精疲労症状が出現したとのことで口腔外科から阪大病院眼科を初診した患者であること

ロ 眼科所見は、以下のとおりであること

① 視力は、右眼0.1、左眼0.1

② 中心不連続光融合頻度は、右眼四〇ヘルツ、左眼五〇ヘルツ

③ 視野及び眼底に異常所見は認めない。

④ 眼位は軽度の外斜位(共働性、潜ないし顕)である。

⑤ 眼球運動には特に異常を認めない。

⑥ 瞳孔は、直径6.0ミリメートルで等瞳、対光反応は速いが十分に縮瞳しない。

⑦ 輻輳は不全である。

⑧ 調節幅は、右眼が五ジオプトリー、左眼が七ジオプトリー

⑨ 眼圧は、一五ミリ水銀柱(両眼) ハ 以上の所見から、「両眼の散瞳、調節障害、輻輳不全による羞明、近見障害、眼精疲労」であると判断、原因としては、副鼻腔手術、脳腫瘍(中脳、松果体)、副鼻腔疾患などを考えたこと

ニ CTスキャン、頭部レントゲン検査では、両側の上顎洞の曇りなど術後的な所見が認められたが、特に、腫瘍等を疑わせる所見は得られず、眼窩及び頭蓋内は異常がなかったこと

ホ 脳波は正常であったこと

ヘ 血液検査では、赤血球五三二万、白血球五五〇〇、反応蛋白テスト陰性(−)、リウマチ因子陰性(−)、ASLO(抗ストレプトリジンO値反応)陰性(−)、梅毒血清反応陰性(−)であったこと

ト 関連諸科への紹介の結果、耳鼻咽喉科からは「左側術後性上顎嚢胞の手術はうまくいっている。」、脳神経外科からは「神経学的には特に異常なし。」との所見が得られたこと

チ 治療としては、中林医師の処方により、昭和五四年三月一六日からプレドニン二〇ミリグラムを七日間、一〇ミリグラムを七日間、五ミリグラムを一四日間投与、また、ビタノイリン三錠を二八日間投与しているが、特に症状の変化はなかったこと

リ 結論として、中枢性障害による障害であると考えられること

(2) 中尾医師の同月二〇日付診断書

両眼の内眼筋麻痺(調節障害、散瞳)、輻輳不全

(3) 脳神経外科六川医師の同年一二月一二日付診断書

神経学的には特記すべき所見なく、持参したCTスキャンでも異常なし

8  足川医師らによる治療等の経緯(<書証番号略>、証人足川力雄、証人松崎浩、原告本人、弁論の全趣旨)

(一) 阪大病院での治療を断念した原告は、川崎医科大学病院等、東京圏所在の幾つかの病院を受診した後、同年一二月一九日、東急病院眼科の松崎浩医師(当時、東京慈恵医科大学助教授。以下「松崎医師」という。)の診察を受けた。

松崎医師は、原告について「輻輳不全麻痺」(輻輳不全と同義)であると診断、以前に、足川医師が、輻輳不全の患者に対し、副鼻腔を開放して通気性を良くすることによって、輻輳不全を治癒させた例を知っていたことから、原告を、同医師に紹介した。(<書証番号略>、証人松崎浩、原告本人)

(二) こうして、原告は、昭和五四年一二月二二日、東京厚生年金病院耳鼻咽喉科を受診、足川医師(当時、同科の客員部長であり、東京慈恵医科大学の客員教授であった。)らによる治療を受けることとなった。

右初診時における同医師らによる所見は、

(1) 鼻内所見が、「鼻腔は狭鼻型で、鼻中隔は右側に軽く彎曲している。下鼻甲は中程度に肥厚し、両側ともやや浮腫状。左側中鼻道は狭小で、しかも、鼻中隔彎曲のため、薬剤塗布をしなければ見えない。中鼻道には手術的操作を加えられた形跡はなかった。」というものであった。

なお、同医師は、右鼻内所見は、「本件手術とは無関係なもの」(<書証番号略>)であるとしている。

(2) レントゲン検査による所見が、「前頭断層撮影により、鼻尖より四センチメートルの部位で眼窩底に小範囲の骨欠損の疑いがある。副鼻腔の発達は良好で、陰影は軽微、両上顎に単胞性の嚢腫を認めたが、嚢腫内の陰影は軽微であった。」というものであった。

なお、同医師は、右所見中の「骨欠損の疑い」と本件手術との関連については「断定不能」であり、「副鼻腔嚢腫による圧迫吸収によるものか、手術によるものかは断定できない。」(<書証番号略>)としている。

(3) 眼科的所見が、「視力、眼位、対光反射は異常なく、輻輳近点は三〇センチメートルと延長し、融像幅はマイナス八度からプラス一〇度であった。」というものであった。

(<書証番号略>、証人足川力雄)

(三) 足川医師らによる東京厚生年金病院における治療の経過は以下のとおりである。(<書証番号略>、証人足川力雄、原告本人)

(1) 原告は、昭和五五年一月三〇日、東京厚生年金病院に入院した。

(2) 翌三一日、足川医師の執刀により、両側鼻腔側壁整復術を施行。

同医師らの術中の所見は、「鼻内より篩骨洞鈎状突起を鉗除し、篩骨洞内に入ると、創腔は十分に上皮化されていた。残存の漏斗蜂窩を清掃し、鼻前頭管を開放したが、粘膜はわずかに浮腫状を呈するのみであった。」というものであった。

(3) 同年二月一二日、足川医師の執刀により、鼻中隔矯正術を施行。

(4) 以上の手術後、原告の自覚症状は消失し、本が楽に読めるようになり、同月二〇日の検査では輻輳近点が一〇センチメートル、同月二七日には六センチメートルと改善、原告は同日、東京厚生年金病院を退院した。

(5) しかし、同年五月下旬、再び眼精疲労が出現したため、原告は、同年六月八日、東京厚生年金病院に再入院した。

このとき、輻輳近点を測定したところ、二〇センチメートルに延長していた。

(6) そこで、同年六月一〇日、足川医師の執刀により、左側鼻腔側壁整復の補正手術と鼻中隔の左側粘膜結節肥大切除術を施行、更に、下鼻道経由で左側歯槽上の嚢腫を開放した。

(7) その結果、同月一八日に輻輳近点は再び七センチメートルにまで改善した。

(四) なお、足川医師は、阪大病院中央放射線部のレントゲン検査所見(7(三)記載のもの。<書証番号略>)について、同所見の指摘する「下甲介下部の骨欠損」は「手術による対孔作製(排泄路作製)によるもので、認められた」が「上壁内方の一部が不鮮明で骨欠損破壊が疑われる」という所見については、「鼻内的手術により見られる範囲では認められなかった」としている。(<書証番号略>)

(五) 同月二三日、原告は、眼症状の経過観察のため、東京厚生年金病院を退院して東急病院に入院、同年七月四日、松崎医師からプリズムメガネの処方を受けた。

なお、同日付の松崎医師作成の診断書(<書証番号略>)によれば、原告のこの段階における症状は、「輻輳不全麻痺」であり、右「傷病は、副鼻腔疾患及び脳幹部循環障害などに由来するもので、加療の結果、経過良好で、現在間歇的に輻輳不全麻痺を呈し、このため、ときに近業易疲労をともない、眼精疲労を訴えることがあるが、症状はおおむね固定して」いると診断されている。

その後、原告は、同月六日に東急病院を退院した。(<書証番号略>、証人松崎浩、原告本人)

(六) なお、原告は、昭和五七年にも、東京厚生年金病院に入院、眼症状改善のための手術的措置を受けている。(弁論の全趣旨)

9  その後の原告の症状について(<書証番号略>、証人松崎浩、原告本人)

(一) 松崎医師作成にかかる昭和五七年一二月八日付の「障害診断書」(<書証番号略>)によれば、同日現在、原告の傷病名は「輻輳不全」であり、「輻輳近点の近方移動が見られ、全体としてはかなり良転したが、近方視困難にともなう眼精疲労は消失せず、現在、輻輳近点は一五センチメートル」であるとされ、右時点において「症状は固定している」ものとされている。

(二) 同医師作成の昭和六二年二月六日付「診断書」(<書証番号略>)によれば、昭和五九年九月七日時点の所見として、原告の病名は「輻輳不全」であり、「遠方視力は矯正可能で良好であるが、近方複視を訴え、眼精疲労が著しい。主訴は上記傷病により両眼輻輳運動の障害のためで、原因は不明である。」とされている。

また、同医師作成にかかるカルテの昭和五九年九月七日欄(<書証番号略>)には、同日の原告の輻輳近点は、裸眼で二五センチメートル、プリズムメガネによる矯正時に一〇ないし七センチメートルである旨の所見が記載されている。

(三) 順天堂大学医学部附属病院脳神経内科の碓井貞成医師作成にかかる昭和六三年一一月二日付「眼科宛診断回答書」(<書証番号略>)によれば、原告の症状について、「輻輳の障害と、輻輳時及び眼球運動時のV1(眼神経)ないしV2(上顎神経)領域の痛みが見られます。頭部CT上は上顎洞に副鼻腔炎が見られ、また、左上顎洞内の術後の骨欠損も見られます。CTで見るかぎりは手術と臨床症状との関連は明らかではありませんが、脳神経のⅢ(動眼神経)、Ⅳ(滑車神経)、Ⅵ(外転神経)とV1、V2の吻合がなければ、上記症状は起こらないと思います。治療としては、テグレトール(三叉神経痛薬)の投与か、神経叢ブロックがベストと思われます。」との所見(なお、右所見中のローマ数字は脳神経番号である。)が示されている。

二  争点1(被告医師らの過失の有無)について

前記のとおり、原告は、被告医師らの過失について、被告岡の本件手術中の手技ミスのほか、被告医師らの手術認識の誤りや術前検査の懈怠、更には、診療領域逸脱の問題や術前説明義務違反等、数多くの主張をしている。

しかし、原告主張の種々の「過失」のうち、手術認識の誤りや術前検査の懈怠の点は、本件障害と直接の因果関係を有するものとしてではなく、いわば、被告岡の手技ミスの存在を推認させる事情の一つとして主張されているものと見るのが相当であるから、原告主張のうち、被告らの損害賠償責任の有無を論ずるうえで重要な意義を有するのは、あくまで被告岡の手技ミスの有無の点であると言うことができる。

そこで、以下では、被告岡の手技ミスの有無を中心に検討することとし、原告主張のその他の過失については、右手技ミスの存否と関連する範囲で論じていくこととする(なお、術後管理の懈怠及び術前説明義務違反の点については、別段の考慮を要するものとも考えられるので、項を改めて検討する。)。

1 手技ミスの有無について

原告が被告岡の手技ミスとして主張するのは、次の四つであると解されるので、以下検討する。

① 眼窩底の骨壁を損傷した事実(以下「眼窩底損傷の事実」という。)

② 上顎結節部(上顎洞後壁)を侵襲した事実(以下「上顎結節部侵襲の事実」という。)

③ 下眼窩神経孔の付近において眼窩下神経に不必要な損傷又は圧迫を加えた事実(以下「下眼窩神経孔付近損傷の事実」という。)

④ 顔面壁削開時又は埋伏智歯摘出時の際に加えた不必要な打撃によって頭部外傷時と同様の衝撃を頭頸部に与えた事実(以下「頭部外傷時と同様の衝撃を与えた事実」という。)

(一)  眼窩底損傷の事実について

(1) 原告の主張するところは、被告岡は、本件手術中に術前に予測されていたもの以外にも嚢胞が存在することを発見したので、上顎洞内を探索しながら嚢胞の摘出を行うこととしたが、術前における術野の把握が不十分であったことから、手術器具の取扱いを誤り、眼窩底(上顎洞上壁)の骨壁を損傷して、眼窩上を走行する三叉神経第二枝(上顎神経、眼窩下神経)に不必要な損傷又は圧迫を加えたというにある。

しかしながら、本件手術後の昭和五四年一二月ころ、東京厚生年金病院で足川医師らによって撮影されたレントゲン写真においても、明らかな眼窩底の骨欠損を認めることができない(鑑定書一〇丁表)のみならず、前記認定事実及び証拠(<書証番号略>、被告作田本人、被告岡本人、鑑定)によれば、

イ 本件手術の対象となった嚢胞(以下「本件嚢胞」という。)は、左側上顎洞の下底部を中心に存在するものであり(鑑定書七丁裏ないし八丁表)、本件手術中の手術操作も主として上顎洞下底部を対象とするものであった(鑑定書一〇丁裏)と認められること

ロ 被告医師らは、術前のレントゲン検査の結果等から、本件嚢胞は左側上顎洞の下底部に限局されたものであるとの認識をもって本件手術に臨んだものであるが、実際の手術においても、予定どおり、上顎洞下底部を術野とする嚢胞摘出及び埋伏智歯抜去の措置を順調に終えたことが窺われ、本件手術中において、術前予想に反するような事態の発生した事実を認めることができないこと(<書証番号略>、被告作田本人、被告岡本人)

ハ 旧手術(上顎洞・篩骨洞根治術)は、上顎洞や篩骨洞内の病的粘膜を剥離・除去して、右洞内の骨面を露出させる手術であり、同手術後の治癒機転としては、肉芽や骨の新生によって、もともと上顎洞や篩骨洞として存在していた空間が充填され、その結果、上顎洞自体が消失してしまうというのが通常であること(鑑定書四丁裏ないし五丁表)からすれば、旧手術後一八年を経た本件手術当時、嚢胞の存在する上顎洞底部のほかは、原告の左側上顎洞の大部分は肉芽等によって充填されていたものと推認するのが相当であり、そうであるとすれば、本件手術操作の対象となった部位と眼窩底との間は肉芽等によって隔てられていた可能性があること(鑑定書一〇丁裏)

ニ 本件手術後である昭和五四年六月二六日の阪大病院中央放射線部のCTスキャン検査の結果、「眼窩、頭蓋内は異常なし」との所見が得られていること(<書証番号略>)

等の事情をも考慮すれば、本件手術における手術操作は眼窩底(上顎洞上壁)には及んでいないものと認めるのが相当であり、被告岡による眼窩底損傷の事実を認めるに足りる証拠はないと言うべきである。

(2) ところで、原告は、昭和五四年一二月ころに足川医師が原告を診察した際のレントゲン所見(前記一8(二)(2)、以下「足川所見」という。)と阪大病院中央放射線部の昭和五四年五月一八日付レントゲン所見(前記一7(三)、以下「阪大病院レントゲン所見」という。)の二つを挙げて、眼窩底損傷の事実を主張するので、これについて検討する。

まず、問題となるのは、阪大病院所見中にいう「トモ(断層撮影)四ないし五センチメートル断層における上壁内方の一部の骨欠損破壊の疑い」が、足川所見における「前頭断で鼻尖より四センチメートルの部にて眼窩底に小範囲の骨欠損の疑いあり」との所見と同一の内容を示すものと言えるかという点である(なお、阪大病院中央放射線部の右所見のうち、下鼻甲介部の骨欠損については、本件手術に伴う対孔形成によって、当然に生じる結果であると認めるのが相当であり(被告作田本人、被告岡本人)、眼窩底(上顎洞上壁)の骨壁損傷とは無関係の所見であることは明らかである。)。

この点については、足川医師自身が、原告代理人による「阪大医学部放射線科の診療録によると上顎洞周辺の骨や軟組織に病変(損傷)が認められたような記述があるが、この病変は貴院において診療されて認められた病変と同一のものか否か。」という照会(<書証番号略>における照会事項(二))に対し、「上壁内方の一部が不鮮明で骨欠損破壊が疑われるという所見は、鼻内的手術により認められる範囲では認められなかった。」と回答していること(<書証番号略>)からすれば、少なくとも足川医師の主観においては、足川所見と阪大レントゲン所見とは、解剖学的には別の部位についての指摘であると捉えていることが推察される。

これに、被告作田本人が、「旧手術時には上顎洞内から篩骨洞内へ進入して手術操作を行うため、必然的に上顎洞・篩骨洞境界板を破壊したものと推察されるから、阪大病院レントゲン所見の指摘する骨欠損破壊は右境界板の破壊像のことであると考えられ、足川所見にいう眼窩底の骨欠損とは無関係な指摘である。」旨を供述していることをも考え合わせるならば、結局、阪大病院レントゲン所見の指摘する「骨欠損破壊」は、眼窩底損傷の事実の根拠とはならないものと解するほかはない。

他方、足川所見の指摘する「眼窩底の小範囲の骨欠損」(以下「本件骨欠損」という。)についても、足川医師自身が「疑い」という言葉を用いて断定を避けているものと解されるうえ、前記のとおり、本件鑑定によって、足川医師らによって撮影されたレントゲン写真上は、明らかな眼窩底の骨欠損は認められないとの判断が示されていることからすれば、本件骨欠損の存否自体が明らかでないと解するのが相当である。また、仮に、本件骨欠損の存在を前提としたとしても、足川医師自身、原告代理人による「右病変は、原告が貴院で診察を受ける前に受けた左上顎洞開放手術と関連性ありと考えられるか。」との照会(<書証番号略>における照会事項(三))に対し、「手術との関連性は断定不能である。すなわち、副鼻腔嚢腫による圧迫吸収によるものか、手術によるものかは断定出来ない。」(<書証番号略>)と回答しているように、それが本件手術中の操作によって生じた損傷であるか否かの点も明らかでなく、結局、足川所見は眼窩底損傷の事実の根拠としては、なお不十分なものであると言わざるを得ないものである。

(3)  以上のとおりであるから、被告岡による眼窩底損傷の事実をいう原告の主張は証拠に基づかない推定の域を出ないものというほかない。

(二)  上顎結節部侵襲の事実について

(1) 原告の主張によれば、被告岡は、本件手術中、術前に予測されていたもの以外にも嚢胞が存在することを発見、上顎洞内を探索しながら嚢胞の摘出を行うこととなったが、断層撮影を行わなかったこと等により事前の術野の把握が不十分であったことから、手術器具の取扱いを誤り、上顎結節部(上顎洞後壁)を侵襲して、翼口蓋神経節に不必要な損傷又は圧迫を加えたというにある。

しかし、本件証拠中、右主張の根拠となり得るのは、本件手術記録中の「上顎結節部の骨はなく、粘膜のみ」との記載(<書証番号略>)のみであると言っても過言ではなく、かつ、右記載自体も、右手術記録に記載された骨欠損の部位は左上顎智歯の歯根相当部の骨であったこと(被告岡本人)を考慮すれば、上顎結節部侵襲の事実の根拠としては、到底、十分なものと言うことはできない。

(2) また、原告は、手技ミスの存在を推認させる事情として、被告医師らが、本来は困難で慎重な注意を要すべき本件手術について、「簡単」あるいは「やさしい」手術であると軽信して、極めて安易な態度で本件手術に臨んだこと(以下「手術認識の誤り」という。)や、術前検査として必須の断層撮影を実施しなかったこと(以下「術前検査の懈怠」という。)を主張する。

しかし、手術認識の誤りの点は、本件訴訟における主張や被告本人としての供述の中で、被告らが、本件手術は、篩骨洞等内における手術操作を伴う蓄膿症の根治術とは異なり、術後性上顎嚢胞の手術は比較的容易な手術であるとの主張・立証を展開していることに対する反対主張と見るべきものであって、いささか揚げ足取り的な感は否めない。手術の難易度に関する認識は、その性質上、感覚的にならざるを得ないものであって、これをもって、本件手術中の手技ミス発生の根拠事実と見ることは相当でないと言うべきである。

また、術前検査の懈怠の点については、足川証言の中に、原告主張に沿うかのような部分があるほか、本件鑑定においても、耳鼻咽喉科医が手術を実施する場合においては、術前検査としての断層撮影が必要であるとの指摘(鑑定書七丁表)が見られるところであるが、これらの指摘は、パノラマ造影法によるレントゲン検査が主として歯科で発達した検査方法であることから、通常、同法によるレントゲン写真の読影能力を十分に有していないと考えられる耳鼻咽喉科の医師が手術を担当する場合には、断層撮影が欠かせないとの見解を示しているに過ぎず、同法によるレントゲン写真に慣れている歯科医師が術者である場合には、また別異の判断があり得るところである。そして、本件鑑定の結果、歯科口腔外科において、本件手術を行うに当たっては、被告医師らが現実に実施した検査方法で、手術に必要な情報を得ることは可能であったとの結論(鑑定書六丁表)が得られていることからすれば、術前検査として断層撮影を実施しなかったことをもって、被告医師らの過失であると解することはできない。

(3) さらに、「上顎骨後壁に接している臓器は、蝶形骨翼突起と翼口蓋窩で、これらの部位に浸(侵)襲があった場合に直接眼症状を来す可能性は否定的である。」とする本件鑑定の結果(鑑定書一一丁表)によれば、仮に、上顎結節部侵襲の事実があったとしても、右事実と本件障害との関連性は否定されるものと考えられ、この点においても、原告の主張は失当と言わざるを得ないところである。

(4)  以上によれば、被告岡による上顎結節部侵襲の事実をいう原告の主張は採用できない。

(三)  下眼窩神経孔付近損傷の事実について

(1) この点に関する原告の主張は、被告岡が、術前の予測に反して、別の嚢胞が存在することを本件手術中に発見、上顎洞内を探索しながら、これを摘出しようとしたが、断層撮影を行わなかったこと等により事前の術野の把握が不十分であったことに加え、手術中の必須の確認事項である下眼窩神経孔の確認を怠っていたことから、手術器具の取扱いを誤り、同神経孔の付近において、眼窩下神経に不必要な損傷又は圧迫を加えたというものである。

(2) そこで、検討するに、本件手術中、被告岡が下眼窩神経孔を露出させる作業をしていないことは前記認定のとおりであるが、被告らも主張するとおり、下眼窩神経孔を視認できる範囲まで、より大きく口腔内の粘膜を剥離する方法に比べ、本件手術のように口腔内粘膜の剥離範囲が狭い場合の方が、同孔付近における眼窩下神経損傷の確率は、より低くなると考えられることからすれば、本件手術において下眼窩神経孔を露出させるか否かは、一応、執刀医の術法選択に関する裁量に委ねられた事項であったと解するのが相当である。

そして、被告岡本人尋問の結果によれば、同被告が下眼窩神経孔を露出させなかったのは、

イ 下眼窩神経孔を露出させるのは、手術部位の位置確認と上顎神経路伝導麻酔のためであるが、本件手術では、神経の伝達自体をブロックするわけではないから、下眼窩神経自体ではなく、下眼窩神経孔の周囲に麻酔をすれば足り、そのためであれば、下眼窩神経孔を露出させなくとも、解剖学的見地から十分に推測は可能である。

ロ また、手術部位の確認という意味においても、本件では、既に旧手術の際に顔面骨壁が除去されていることが予想されたため、右欠損部分を幾分拡大するだけの作業で足り、新たに顔面骨壁の削開作業を行うわけではないから、下眼窩神経孔の確認は不要である。

と判断したためであると認められるところ、右判断には相応の合理性があるものと解されるから、本件手術において口腔内剥離の範囲を拡大しなかったことは、被告岡が執刀医としての裁量の範疇にあるものであって、その範疇を逸脱ないし濫用したとまでは認めることができない。

(3) 以上に加え、

イ 被告岡は、本人尋問において、本件手術における手術操作の範囲は上顎洞底部に限局されており、上方手前にあたる下眼窩神経孔付近の手術操作はしていない旨の供述をしており、他に右供述を否定すべき証拠もないこと

ロ 原告の訴える症状の中に、眼窩下神経損傷例における通常の訴えである神経痛様の特有の知覚異常が認められていないこと(<書証番号略>)

をも考え合わせえるならば、結局、下眼窩神経孔付近損傷の事実を認めるに足りる証拠はないものと解するのが相当である。

(4) なお、本件鑑定において、本件手術時に下眼窩神経孔の確認作業を行うことは必要である旨が指摘されていること(鑑定書一三丁裏、三宅証人調書四六ないし四七頁)等からすれば、術後性上顎嚢胞の手術においては、下眼窩神経孔を露出させる作業を経るのが一般的であるとの知見を得ることができるが、右鑑定も、具体的場面における術法選択に関する執刀医の裁量権自体を否定する趣旨であるとは解されないから、右に述べた結論を左右するものではない。

(四)  頭部外傷時と同様の衝撃を与えた事実について

原告は、被告岡は、本件手術中、術前に予測されていたもの以外にも嚢胞が存在することを発見、上顎洞内を探索しながら嚢胞の摘出を行うこととなったが、その際、事前の術野の把握が不十分であったことから、顔面壁削開時又は埋伏智歯摘出時の際に加えた不必要な打撃によって、頭部外傷時と同様の衝撃を頭頸部に与えて、脳内中枢に傷害を与えた旨を主張する。

しかしながら、被告岡本人の供述によれば、本件手術における顔面壁開削時及び埋伏智歯の抜去時の衝撃は、比較的軽微なものであったと認められるうえ、

(1) 本件鑑定において、埋伏智歯抜去時の衝撃によって、頸椎に病的な変化を起こすような衝撃を加える可能性は、常識的に見て考えられないとされていること(鑑定書八丁表裏)

(2) 証人松崎浩の証言において、手術中の衝撃を本件障害の原因として想定することについては否定的な見解が示されていること(同証人尋問調書34項など)

(3) 右可能性を肯定する足川証言においても、他方では、埋伏智歯抜去時等の手術中の衝撃によって、鞭打ち症類似の症状を引き起こした事例を見聞したことはないとされていること

等の事情を考慮すれば、原告の前記主張は、いまだ想像の域を出ないものであり、到底、これを認めるに足りる証拠はないものと言うべきである。

よって、この点に関する原告の主張も採用できない。

(五)  いわゆる「領域問題」について

(1)  原告は、本来、歯科医師である被告医師らは本件手術を自ら施行すべきではなく、手術の必要性を認めた段階で、耳鼻咽喉科に転送すべき義務を負っていたにもかかわらず、これを怠った旨を主張する。

しかしながら、厚生省の見解(<書証番号略>)及び社会保険診療における解釈(<書証拠番号略>)によれば、歯科医師が術後性上顎嚢胞の手術を行うこと自体は社会的に是認されていると認められるうえ、本件具体的事案に即して見ても、前記認定のとおり、被告病院第二口腔外科に属する歯科医師である被告医師らが本件手術を施行するに至ったのは、聖ケ丘病院の耳鼻咽喉科医師である十川医師の紹介によるものであることからすれば、原告の前記主張が当を得ないものであることは明らかである。

(2) また、原告は、歯科医師が本件手術を施行する場合には、医師の場合に比して、より重大な注意義務を負うと解するべきである旨の主張をしているとも解されるが、医師と歯科医師との間において右のような注意義務の差を認めるべき論拠は見いだし難いところである(なお、医師と歯科医師とが同等の注意義務を負うことは当然の前提である。)から、この点に関する原告の主張も採用の限りではない。

(六) 証明論等に関する原告主張について

なお、原告は、本件訴訟における裁判所の事実認定方法について、医療事故の中でも、とりわけ手技ミスが問題とされる本件のような事例においては、患者側である原告が手技ミスの存在した事実を立証することは困難を極めるから、同種事件を判断するにあたっては、

① 原因と結果の時間的近接性を重視し、

② 医学的可能性の存否は、重大な不注意、乱暴な手技及び未熟な技術の存することを前提として判断し、

③ 経験不足によって手技ミスが起こり得るという経験則を考慮し、

④ 安易に原因不明論に与せず、考えられる限りの原因をすべて検討したうえで、最も可能性の高い原因を認定する

という姿勢が要求されるとの主張をしているので、この点につき付言しておきたい。

(1) 確かに、手技ミスが問題とされる事例においては、手技ミスの存否を直接に立証する方法が、執刀医本人の尋問等、被告である医療機関側の証拠に委ねられる側面が大きいため、患者である原告側の立証方法の収集に限界があるという意味においては、安易に証明なしとして原告側の主張を排斥すべきでないとする原告主張の一般論の妥当性自体は、当裁判所も否定するものではない。

しかしながら、原告主張の証明軽減論は、仮に手技ミスありとすれば、右行為と問題とされる障害との間の因果関係は明らかであると言えるような例(過失行為の特定・認定は困難であるが、因果関係自体は明らかであるような例)か、逆に、何らかの手技ミスの存在は明らかであるが、医学上の原因究明手段が未発達なために、厳密な意味での因果関係の立証が困難であるような例(過失と評価できるような行為はあるが、右行為と障害結果との医学的因果関係の証明が困難な例)においては、頷ける部分があるにしても、以下に述べるとおり、それを本件事例に当てはめることは不適切であると言わざるを得ない。

(2) そもそも、本件手術が真に本件障害の原因であったとすれば、本件手術後一年余りを経たころに実施された足川医師らによる手術によって、本件手術と障害との間の因果関係の存在もしくは蓋然性に関する何らかの客観的根拠が見いだされるのが自然であると考えられるが、この点について、本件手術を直接検証できた足川医師においてさえ、「結局、患者から言わせると、ほかに何も因子がなくて、サージャリーの後で幾日かしたときに非常に著名な眼精疲労が来たということ、そうすると、やっぱりそこに因果関係が行っちゃうんじゃないでしょうか。」という程度の感想的見解を述べるに留まる以上、他に、右に述べた意味での客観的根拠の存在を見出すことはできない。

(七) 以上のとおりであるから、原告主張の手技ミスの事実はいずれも認めることができない。

2  術後管理の懈怠の有無について

(一) 原告主張によれば、原告が本件手術後の三日目(昭和五三年一〇月二〇日)に、強い眼精疲労を訴えたのに、被告医師らは、原告の訴えを正しく把握し、早期に眼科医師に転送すべき義務に違反して眼科に受診させなかったというにある。

(二) そこで、検討するに、前記認定にかかる術後入院期間中の経緯からは、被告医師らが術後管理を怠ったことを窺わせる事情は何ら見出すことができないうえ、本件鑑定及び三宅証言においても「手術後の診療録を見るに…我々の経験している術後性上顎嚢胞の術後の状態と変わりはない」(鑑定書九丁表)、「普通考えればある程度の反応性の状態であれば、様子を見る」(三宅証人調書三一頁)とされていることからすれば、術後管理の懈怠に関する原告の前記主張は採用することができないと言うべきである。

(三) この点、原告は、三宅証言の「眼窩蜂窩織炎のような重篤な感染症が疑われる場合には眼科へ転送すべきである」旨の供述に基づき、本件原告も重篤な感染症を併発していたから、被告医師らの転医義務は肯定される旨を主張する。

しかしながら、術後入院期間中の原告の体温が、高くとも三八度を超えることはなかったことは前記認定のとおりであり、このことからすれば、重篤な感染症の併発をいう原告の主張は事実に基づかない想像の域を出ないものと言わざるを得ないし、本件鑑定ないし三宅証言も、そのことを前提に、重篤な感染症の併発自体を否定しているものと解するのが相当であるから、前記の結論を左右するものではない。

3  説明義務違反の有無について

(一) 原告は、

(1) 被告医師らは、本件手術前に、原告に対し、本件手術による視器障害発生の可能性について説明すべき義務があるのに、これを怠り、視器障害発生の可能性については何ら言及しなかった。

(2) また、被告医師らは、本件手術前には、執刀医は被告作田であると説明していたが、実際に本件手術を執刀したのは被告岡であった。このことは、原告が被告岡による本件手術の施行を拒否する機会を奪ったものであり、重大な説明義務違反に該当する。

として、被告医師らの説明義務違反の過失を主張する。

そこで、以下、右の点について検討する。

(二) 視器障害発生の危険性を告知しなかった点について

術前説明として、原告に対し、視器障害(ここでは輻輳不全に限らず、眼球運動障害や視力低下等のより一般的な視器障害を含む意味で用いる。)の発生する可能性を告知しなかった事実は、被告らも認めるところであり、右事実の有無に関する限り、当事者間に争いはない。

問題は、右不告知の事実が、不法行為ないし債務不履行として、何らかの損害賠償の対象となるか否かという点であるが(なお、障害発生の危険性を告知しなかったことが、本件障害発生の原因事実となり得ないことは明らかであるから、ここで問題となるのは、もっぱら、適切な術前説明を受けえなかったことに対する精神的損害の有無である。)、上顎洞下底部だけを対象とする手術を行うという被告医師らの手術計画を前提とするかぎり、視器障害発生の確率が極めて低いことは明らかであるから、そのような低い発生確率の障害についてまで、被告医師らの説明義務を認めることは相当でないと解される。

右のような考え方に対しては、被告医師らの予想に反して手術部位が上顎洞上方にまで及んだ場合には、一般的な視器損傷の可能性は増大すると考えられるから、そのような事態を想定したうえで、視器損傷の危険に対する説明を行っておくべきであるとの反論も考えられるところであるが、術前説明としては、予想される一般的な手術経過を基にした場合の副損傷等について説明すれば、一応、基本的な説明義務は尽くされたものと言うべく、それを越えて、予想外の事態が生じた場合の付加的説明を行うか否かは、右事態の生じる確率等を勘案したうえで、医師側の裁量によって決すべき問題であると解するのが相当である。

(三) 執刀医に関する説明について

この点についても、被告岡は、本人尋問において、術前説明の際に、明確に自己が執刀医である旨を告げなかったことを自認しているところから、術前説明として執刀医に関する明確な告知がなかったことは明らかであるが、手術に対する患者の承諾を得るにあたり、執刀医が誰であるかを明らかにすることは、患者の自己決定権の尊重の観点から望ましいことであるとは言えても、患者が予め特定の医師による執刀を希望する意思を表明しているなど特段の事情のない限り、執刀者についての事前の告知が未だ患者に対する義務であるとまでは言えないと解するのが相当である。

(四) 以上のとおりであるから、説明義務違反を理由とする原告の主張も採用することができない。

三  結論

以上によれば、その余の点につき判断するまでもなく、原告の請求はいずれも理由がないから、これを棄却することとし、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官澤田三知夫 裁判官村田鋭治 裁判官早田尚貴は転補のため署名押印することができない。裁判長裁判官澤田三知夫)

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